▲写真:支援先の学校にて
12日間のスタディーツアーを終えた今、自分がイスラエルとパレスチナへ行ったことはとても価値のある事だったと感じている。様々な志や考えをもった頼もしい仲間と出会い、楽しいことも多かった。しかし、厳しい現実を見ることも多く、いまだに自分の中でそれぞれの事実とどのように向き合うべきか模索しているところだ。
私がこのツアーに参加したきっかけは、日本に居住する難民の方から話を聞いたこと。難民が増えている中東で、彼らはどんな生活を送り、何を求めているのか知りたかった。中東についての知識はほとんどなく、調べていけばいくほど理解に苦しむことや疑問が増えていくばかりだった。なぜここまできてしまったのか、お互いのことをどう思っているのか、きりがない疑問を出発までノートに書き落とし、イスラエルとパレスチナの地へ。
初めて検問所を通過した時、雰囲気がガラッと変わったことに驚いた。イスラエルは建物に統一感があって、交通機関も整っていたが、電線や道路、建物から経済格差は一目瞭然で、数分前までいた壁の向こう側がまるで夢だったかのような気分になった。皮肉なことに、パレスチナの経済はイスラエルに依存する形で成り立っているが、経済成長を妨げているのもまたイスラエルとの衝突である。雇用など国民に大きな影響を与える経済は、双方にとって重要な課題の1つだと思う。対話や平和構築を望み活動する過程の中で、こうした問題にも焦点を当てるべきだと思った。
1日目のホロコースト記念館で目にしたユダヤ人を虫のように描いたポスターや当時の映像は、戦後の現代を生きる私には、想像もつかないようなものだった。今私たちが当たり前に思っていることは、50年後の社会からしたら非常識で非人道的とされているかもしれない。ホロコースト記念館で見たガイドさんの涙や、彼女に静かにしろと怒りを打つける遺族の目から、この苦しみや憎しみは時代を超えて今も生きているのだと思った。現代社会で先進国に生きる私たちは、選択できる自由がある。自分の行動を選択できるからこそ、慎重にならなければいけない。
クレーシュでは、15歳の母から5日前に生まれたばかりだという赤ちゃんに出会った。彼らには、宗教的観念によって軽視されている命があること、名誉を守るためであれば殺人は罪ではないという理解に苦しい風習がある事を知った。それでも恐怖に怯えながら我が子を手放さなければならない母親の気持ちや、成長していく中で厳しい現実と向き合わなければならない子供達がいると思うととても辛かった。父親や兄に殺されたらとか、両親だと思っていた人、いつも寝ていたベットや沢山の縫いぐるみなどは、全て自分たちを可哀想と思う人々からの贈り物だと知ったら、自分はどうなってしまうのだろうか。笑うことや周りを信じることができなくなってしまうかもしれない。彼らにとってこの社会で生きていくことは、すごく難しいのではないかと思ってしまった。しかし、お話をしてくれた人が言うように、イスラム教ではまだ認められていない養子制度が何らかの形で活発化すれば、子供たちにかかる心の負担はかなり少なくなると思う。私たちの出会った子どもたちも強く健康で、命がどれほど大切なのか感じられる人になってほしい。
難民キャンプは、建物や電気は制限されているものの、自分の予想以上に町と化していた。あらゆる所に鍵のマークや権利を求める声が絵や文字で描かれているのが印象的だった。しかし、学校に通う子供たちや仕事をする方々をみて、生活の拠点がもうそこに築かれてしまっていていることに複雑な気持ちになった。お金をためて建物を修復し、暮らしを改善して、生活ができるというのは、いいことだと思う。それが支援で成り立っていたとしても、人として最低限の権利が守られているということになる。しかし、あまりに穏やかなキャンプの雰囲気や人々の様子から彼らの目的が「自分たちの土地に帰る」ことだというのを忘れてしまった、あるいは諦めてしまったかのように見えた。
この旅では多くの人と出会い、彼らの考えなど多くの事を教えてもらった。自分たちを家族の一員として迎えてくれたホストファミリーのみなさんは、会う度にギュッとしてくれたり、私たちが投げかける難しい質問にも嫌な顔せず答えてくれたりして、本当に感謝している。彼らに家族の温かさを実感させてもらい、イスラエルとパレスチナを国民の目線から考えることができた。旅の中で私が1番嬉しかった瞬間がある。イスラエル人とパレスチナ人の2人の店員さんが、「自分たちはお互いを信頼し合える最高の友達であり、パートナーだよ」と言っていたこと。厳しい現実の中にもお互いを思いやり、対話を望む人々は多くいる。私が出会った2人のような友達がさらに増える日が来ることを信じ、この旅で学んだ事を発信していきたいと思う。
(文 小俣 麻美/
2018年スタディー・ツアー参加者、大学2年生)