▲写真:マサダから望む死海
イスラエルでの滞在は、私たちが当たり前に口にする「平和」とは何かを問いかけるものだった。
紛争下で生きるという事実を突きつけられた。
プロジェクトに参加した理由
私にとってイスラエルは、とても馴染みのあるどこか懐かしい国であった。
というのも、私が通っていたカトリックの小学校は、クラスがB組(ベツレヘム)、N組(ナザレト組)、P組(パレスチナ組)と分けられていたからだ。聖書に関連した地名に幼いころから馴染みがあった。
他方で、イスラエルに漠然としたイメージは抱いていたものの、具体的にどういった場所であり、紛争地としてのイスラエルについて表面的な事実しか知らなかった。
そのため、社会人生活を目前に控えた大学生最後の春休みに、その地へ訪ねてみたいと強く感じていた。
エルサレムの土地や人に触れて感じたこと
まず、三大宗教の聖地という特異性を身に染みて感じた。
宗教によって区切られた地域とこうした地域が隣り合わせであることが尚更興味深く、紛争の複雑さを物語っていた。
あるパレスチナ人がこの地域に住む人々はエルサレム内の宗教や民族を巡る紛争に疲弊し、その他のことに目を向ける余裕が無いと嘆いていた。
この点、日本とは異なり、生活において宗教が生活で大きな要素となる国の性質を肌で感じることが出来た。
また、イスラエルの学生との交流やイスラエル、パレスチナのホームステイを通じ、紛争があるという国の日常を垣間見た。
事前学習により、双方の国家における「平和」の定義について温度差を感じつつあったが、現地の人々の言葉や生活を経験して、見聞きすることで、両国の考える「平和」の違いを実際に肌で感じることが出来た。
ヘブライ大学では、イスラエルの学生と紛争について議論をする機会があった。
彼らはパレスチナ人を「敵」と表現し、彼ら自身の安全を確保する上では、仕方がないことであると主張していた。
他方で、パレスチナ難民の男性は、家に戻るよりも、イスラエル政府に「ただ私たちの存在」を認めてほしいと私たちに話した。
日本人の描く「平和」を達成することがどれほど難しく、諦めたい気持ちを奮い立たせて訴え続けることがどれほど精神的にも体力的にも困難であるのかに気づかされた。
当たり前のことではあるが、気づかされるスタディーツアーとなった。
最後に、スタディーツアーを通じて、どの国にも良い人も悪い人もいて、視野を狭くしているのは自分自身であると再確認させられた。
今回のスタディーツアーでは、ホームステイや交流した学生の優しさに何度も感動させられた。
私は「イスラエル人」だから「パレスチナ人」だからという偏見を無意識にも持っていたことに気づいた。
どちらの側にも理由があり、こうした理由が結びついて紛争は発生する。
紛争についても、現地に行き、友人や家族になってしまえば、無関心になることも憎むことも出来ないと思った。
プロジェクトに参加して
今回のスタディーツアーを通じ、私達が出来ることというのは限られていることから、幾度となく「無力感」に襲われた。
クレーシュやエフェタで子どもたちと一緒に踊ったり、パレスチナ難民の大学生から日常生活における困難の話を聞いたり、実際に検問所を通るために、数10分待ち、パレスチナ人が日々どのように扱われているかを体験した。
とはいえ、双方の国が求める平和にどのように貢献出来るのかを現実的に考えれば、個々人の力では何も出来ないではないかと思った。
しかし、この無力感を大切にし、今回の旅を、スタート地点として受け止めて、自分なりに何が出来るか模索をしてみたいと思う。
自分の人生で、イスラエル、パレスチナがどのように関わってくるのかは正直今のところは分からない。
ただ、二国間の現在進行形である紛争に触れて、今まで自分が描いていた「平和」が既に自分が持っている眼鏡を通して描いた平和に過ぎないと感じた。
この気づきは、これから外交に携わる者としては、重要な視点だと感じている。
(文 伊藤 友香/
2019年スタディー・ツアー参加者、大学4年生)