2001年9月11日に、ニューヨークの世界貿易センタービルや米国防総省の建物にハイジャックされた旅客機が突っ込んだ同時多発テロ事件から15年が経ちました。あの日、筆者はエジプトのカイロの総局事務所にいました。終業間際の現地助手が、ニューヨークのビルに旅客機が衝突したと慌ただしく知らせてきました。大事件ではあっても米国の話だから、頼む仕事はないだろうと帰らせました。そしてテレビのニュース映像を見ていたところ、別の旅客機がツインタワーのもう一棟に突っ込むのが映し出されたのです。これはもう、意図的にぶつけたのは明らかでした。それからは、あれよあれよという間に米捜査当局によってサウジアラビア人、エジプト人などの実行犯が明らかにされ、イスラム過激派によるテロであることがクローズアップされていったのです。ニューヨークの現場からは、前代未聞の惨劇への驚き、悲しみ、怒りを伝える興奮といってもいいうねりが伝わってきました。そしてカイロにいた筆者はある種、さめた目でニュースを見ていました。自分も現場にいれば、まずは起きていることを伝えるために夢中になって取材に走り回っていたでしょう。いわば「格好の取材対象」が目の前にあるのです。世界中のマスコミの特派員らにとって、すぐに取材に駆け付けられる「便利な」場所。そして、圧縮された時間の中で千人単位の犠牲者が出た大惨事であり、世界中の注目を浴びる特大のニュースなのです。
筆者の目がどことなくさめていたのは、中東の地から見ていたからでしょう。それは距離的に遠いというだけではありません。中東では、9・11同時多発テロによる犠牲者の遺族・関係者が「なんで罪のない市民を狙うのか」と怒り、悲しんだのと同じ思いを抱かせる出来事が、日常茶飯事のように起きているのです。ただ、その場所がほとんどの場合、すぐには駆け付けられない「不便な」所。しかも1件1件が違う日時、違う場所でばらばらに起き、犠牲者がいても1件ごとの数が少ないため、大ニュースとしては取り上げてもらえないのです。
例えば、イスラエル占領下のパレスチナでは、許可なく家を建て増したという理由だけで家を壊されるということがよくありました。自治移行後も、テロリストの隠れ場所になるなどの理由で民家が破壊されました。2014年夏には、テロリストを狙ったという砲爆撃で多数の民間人が犠牲になった「ガザ戦争」もありました。圧倒的な武力を持つイスラエル軍や兵士の前に、ほぼ一方的にやられる側の人々の怒りや悲しみの総和は、米国での同時多発テロが引き起こした怒りの総和に勝るとも劣らないかもしれません。怒りが日常的に積み重ねられるため、一瞬に凝縮された惨劇のようには派手に報じられないだけなのです。中東からは、この違いが重なって見えるのです。
イスラエル側から「私たちだってロケット弾やテロで犠牲者を出したり恐怖を味わったりしている」と言う声が聞こえます。もちろん、人の命に軽重はありません。ただ、一つのテロ被害に何十倍もの報復攻撃をする側と、叩きつぶされてやり返すすべのない側の痛みや恨みを同等に受け止めるのは、難しいことです。
十分に報じられない側の思い、ということについては「オリーブの木」53号(2014年8月)にも書きましたが、状況はいっそう悪くなっているかもしれません。千葉大学教授で中東情勢に詳しい国際政治学者の酒井啓子さんが、最近の朝日新聞のコラム「思考のプリズム」(9月14日夕刊)で次のように書いています。
9・11後に生まれ、事件を知らない世代にとっては「世界中で中東起源の『テロ』が蔓延し、無関係だと思ってもいつでも殺戮に巻き込まれる可能性があり、テロには戦争で応え、世界平和には軍事的貢献が不可欠だという、9・11後の世界」が、「生まれたときから存在する『当たり前』の世界」なのだと。
酒井さんは、こうも書いています。「『誰か』を相手に要求を訴え戦う、現実の日常を巡る『戦い』が見えなくなった」と。その例として「イスラエル占領下のパレスチナ人や、難民化し行き場を失ったシリア人やアフガニスタン人」などをあげ、「彼らは、9・11前から繰り返し明確なメッセージを送ってきた。だが9・11後の、テロリストか否かに二分される世界のなかで、彼らが訴える言葉は『テロリスト』というイメージのなかに追いやられてしまった」と指摘しています。
同時多発テロを受けてブッシュ米大統領(当時)がしたことは、「対テロ戦争」を掲げ、テロを実行したイスラム過激派組織アルカイダと指導者ビン・ラーディンの引き渡しに応じないアフガニスタンを攻撃することでした。米国民は、どんな人々がどんな思いで暮らしているか知らない地域で、米軍主導の有志連合諸国が敵をやっつけているのを見て、いわば「留飲を下げた」ことでしょう。そして「対テロ戦争」の標語は、酒井さんが指摘するように、自分たちの日常を変えたいと訴えても見向きもされないことがほとんどの人々を、テロリストの範疇に追いやる傾向をもたらしたのです。
この人々は、強国の圧倒的な武力の前に「留飲を下げる」ことのできない立場にいます。9・11でテロによる犠牲が大きく取り上げられるのを見て筆者が「覚めた感覚」を抱いたのは、なぜテロが起き、なぜ米国がテロの標的にされたのかという問題の裏にある多くの人々の思いに、世界の目はほとんど向けられないと感じたからでしょう。
ブッシュ大統領の掲げた「対テロ戦争」は、9・11の報復として国民の拍手喝采を受け、大統領を再選に導きはしても、テロの根絶にはつながりませんでした。むしろ、酒井さんも指摘するような「メッセージを届けたい人々のメッセージが届かない」事態を招いています。
イラク戦争がもたらした荒廃の中からIS(イスラム国)のような、残虐な過激組織が生まれてしまった現状では、武力による対処を排除するのは無理なのでしょう。しかし、「テロリスト」という言葉が安易に使われる中で届きにくくなっている人々の声に応える努力なしには、テロをなくすことはできないと、9・11から15年を経て改めて思いました。