私には好きな言葉がある。
『Sperodumspiro』(生きている限り、わたしは希望を抱く)
子どもの頃、新聞で出会った言葉。古代に生きた人がどんな思いでこの言葉を残したか、私には知る術もない。
しかし、このシンプルな言葉の持つ力に私は幾度となく救われた。困難が立ちはだかった時、悲しみに打ちひしがれた時…遥か昔からこの言葉を今に繋いで来た人びとに思いを馳せる。たったひとつの灯火のように私をいつも奮い立たせてくれた希望の言葉だ。
パレスチナ問題に関心を持ち、そこに苦しむ人びとに対して直接的な支援をする。そんな漠然とした思いを具体化するためにも、現地に赴きこの目で見て感じたい。この度の「平和を願う対話の旅」に参加し、多くの学びと何物にもかえがたい経験をさせていただいた。私の人生観を揺るがすと言っても過言ではない、そんな衝撃的な旅となった。帰国後二週間以上経過した今もまだ消化しきれていない。
パレスチナの人びとの現状は、想像以上に過酷なものだった。問題は深刻で解決の困難さを痛感した。住む家を追われ、隔離・監視され、暴力にさらされる。迫害の苦しみを誰よりも知るユダヤ人が、なぜ同じことを繰り返すのか。私には到底理解できない。しかし一方で、イスラエルでもパレスチナでも、ありふれた日常の喜びや幸せがあった。何気ない幸福の尊さ。日本にいてはつい忘れてしまうような温もりに気づくことができ、感謝している。
現地スタッフにヤクーブというパレスチナ人男性がいる。彼はもう何年もこのNPOの活動に参加しており、ツアーの成功に欠かせない存在だそうだ。
ある朝エルサレムで、紛争の現実を思い知らされる出来事がわたしたちの目の前で起こった。彼の同僚が巻き込まれて重傷を負ったのだ。そのとき彼が言った「Hopeless」(希望なし)という言葉。そこに含まれる悲しみや憤りは重く、パレスチナ問題の解決がいかに困難かを物語っていると思う。私の希望はなんと平坦で薄っぺらで、安直なものだろう。和平がいかに厳しい合意のもとで築かれるのか、日本にいて知る由もなかった。
絶望しかない状況で、けれども、私は希望を持ち続けたいと思う。絵空事で楽天的過ぎるかもしれないが、私は希望を信じたい。このような自分の気持ちをあらためて確認することは、イスラエル・パレスチナに来なければできなかった。
この旅は私の人生におけるひとつの楔となった。
(文 加藤 結子/2016年スタディ・ツアー参加者)