安全保障関連法案が衆議院を通過しました。「オリーブの木」55号の論考『人質殺害で問われる日本のあり方』で筆者は「テロへの対処を含め国際問題に日本はどう取り組むべきか、今は選択の岐路にあるのではないか」という趣旨のことを書きましたが、安保法案を提出した安倍政権の選択は端的に言えば、紛争防止のために海外で武力行使ができる、つまり戦争ができる国にしたい、ということです。この「平和のために武力で貢献」という考えの底流にあるのは、紛争防止などの際に国際社会から「自分たちは血を流さずに黙って見ていていいのか」と思われているのではないか、という負い目の論理です。米国に「お前たちも共に苦労しろ」と言われて従おうとしている、といったところです。
しかし、国際社会において日本は「自分は血を流さずに守られている」と非難されることより、戦後一貫して「他国に侵攻して住民に血を流させたことがない」ことへの評価の方が大きいのではないでしょうか。「世界平和のために日本も犠牲を払う用意はある」という姿勢を見せることの意味を否定はしなくとも、戦後「他国を侵したことがない」という『非戦』の重みを、もっと自覚し強調していいと思います。紛争地での難民支援や武装解除などを担う活動をしてきた人たちが一致して言うことは「中立」の大切さであり、集団的自衛権の行使で米国と一体化することで、活動の地にいる日本人の危険性が高まるのではないか、ということです。また、武器を使用することになれば当然、相手側の戦闘員だけでなく民間人を殺す可能性があることも指摘します。
このように、安保法制をめぐっては大いに議論すべきことがあり、国民から多くの疑問が示されているにもかかわらず政府が一向に目もくれず、法案を通しさえすればよしとするのは、選挙で多数を押さえていることからくるおごりではないでしょうか。それが露呈したのが、6月25日に開かれた自民党議員による勉強会「文化芸術懇話会」に出席した人たちの発言です。新聞社などが出席者らに確認したとして報じた発言の中身は次のようなものです。
いわく「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番。日本を過つ企業に広告料を払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけてほしい」。いわく「青年会議所理事長の時、委員会をつくってマスコミをたたいた。テレビのスポンサーにならないのが一番こたえることがわかった」。あげくに、講師として招かれた作家・百田尚樹氏が「沖縄の二つの新聞社はつぶさないとあかん」と発言しました。同氏は安倍首相と親しく、2013年11月から今年2月までNHK経営委員に選ばれていた人です。党の代表として責任を問われた首相は「私的な勉強会で自由闊達な議論がある。自由な議論は民主主義の根幹」とかわしていました。さすがに自民党はその後、懇話会代表を更迭するなど事態の収集を急ぐ措置を取りましたが、異論を封じようとする考え方に真剣な反省がなされたのか。懇話会出席者のその後の言動を見ると、あやしいものです。
参考までに、思想家の内田樹氏の言葉を紹介します。「言論の自由とは、言論が行き交う場に対する敬意のこと。自由に議論する場が確保されていれば、長期的、集団的にはどの意見が適切だったかの判定が下るだろうという、人間の集団的英知に対する信頼が『言論の自由』です」(7月8日の朝日新聞夕刊1面)。内田氏はさらに、言論の自由の唯一の条件は、黙れと言ってはいけないこと、と言っています。メディアに対して「つぶれろ」とか「黙れ」という人の発言を、言論の自由だからと認めたら、言論の自由はいずれなくなってしまう、というのです。
言論の自由については、1776年7月の米国独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソン(第3代大統領)の「新聞なき政府か、政府なき新聞か、いずれをとるかと問われたら、ためらわず後者をとる」という言葉が有名です。彼は「何も読まない者は新聞しか読まない者より賢い」と述べるほど新聞嫌いだったそうですが、それでも権力を監視するマスコミの必要性を強調したのです。そして、この考え方が米国のジャーナリズム重視の基調となってきました。
こういう言葉もあります。「権力者にとっては、メディアの人間というのはシラミみたいなもの。しょっちゅう、あっちこっちちくちく刺して、頭をかきむしりたくなるような、そういうやつ」。ジャーナリストの立花隆氏が、ウォーターゲート事件のスクープで有名な米ワシントン・ポスト紙の編集主幹だった故ブラッドリー氏から聞いたものです。要するに、ジャーナリストと権力の内部にいる人間の関係は、そういうものでなければならないという意見です。権力というのは暴走しやすく、腐敗しやすいから、チェックしなくてはならない。それを、権力にある側が「都合の悪いことを書くやつはつぶせ」と言い出すと危険なのです。
政治権力が、気に食わない芸術を「退廃的」などといって排撃し、意に沿う芸術家の表現力を権威の宣伝に利用したのが旧ソ連のスターリニズムやヒトラーのナチズムの手法でした。自民党国会議員らの問題発言が噴出した会の名前が「文化芸術懇話会」だということは、何やら意味深長な気がします。
作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんなどが、安保関連法案がごり押しで成立させられようとしている事態を受けて、「このままだと第二次世界大戦と同じようにひどい目に遭う」と発言しています。「戦争だなんて、大袈裟な」という声も聞こえてきますが、寂聴さんたちが心配するのは、「あの時代」の空気を知る人として、同じような空気を感じるからでしょう。権力にある側が、気に食わない意見を「つぶせ」と平気で言う、また、言ってもかまわないという空気。そういえば「韓国人は死ね」などと、常人ならとても口にできないヘイトスピーチを叫んでデモをする人たちには、「自分らは与党」との意識があるようです。
そのような空気を放っておくと、ささやかな活動をしている当NPOでさえも、政権に批判的な記事を「オリーブの木」に載せていたら「こんなNPOはつぶせ」となり、資金を断つために「ホームページなどは削除させろ」ということになりかねません。
(文 当団体理事 村上宏一/元朝日新聞エルサレム特派員、中東支局長)