▲写真:子どもたちの素敵な笑顔
私は将来、看護師として国際協力に携わりたいと考えている。各宗教の文化や歴史への興味に加え、平和について考えを深められるだろうと思いツアーへの参加を決意した。近頃中東に関しては耳を塞ぎたくなるようなニュースばかりで、魅力を知る機会が少ないように感じる。しかし、自分の足で訪れることでその人々、文化、歴史の魅力を全身で感じることができた。また、今もなお解決の糸口が見つからないイスラエル・パレスチナ問題についても学び、考えてきた。
テルアビブに到着して行われた最初のミーティングで印象的だった言葉は「私たちはバブルの中にいる」今はある程度落ち着いているけれど、一方で何が起きてもおかしくない現状。そう遠くない過去には、不安と隣り合わせでも平常心で過ごすしかなかったと教えてくれた。地中海沿いを歩いていると、ホテルやマンションなど高いビルがどんどん建設されていたり、人々のランニングする姿やのんびりとした時間を過ごす姿が見られた。テルアビブではまだそういった穏やかな印象の方が強かった私には、今思えば彼らの言葉は理解はできていても、身をもって実感はできていなかったように思う。
エルサレムに移り、まず最初にホロコースト博物館であるヤドバシェムに向かった。何度も目を塞ぎたくなるだけでなく呼吸しづらくなり、意識的に深呼吸をしながら進んだ。悲惨で壮絶な虐殺に苦しまれた方々に思いを馳せると同時に、ホロコーストはユダヤ人の建国心を一層強めるものだったのだと強く感じた。アラブ人に対して行っている弾圧は許されるものではないが、ユダヤ人の自国に対する思いの強さは私の想像を遥かに超えていた。
ミーティングでは、一番人数の多いミーティングとなった。必ずしもみなイスラエル・パレスチナ問題に関心があるわけではなく、日本文化に興味があるという理由で来ている人もいた。進んで意見を述べる学生がいる一方で、消極的な学生も何人かいるのが目立っていた。そういった人たちとこそ共に知り考える必要があるのだろうが、足早に帰る様子を見て現実は難しいと感じてしまった。
西の壁に訪れた際には、壁に向かって泣きながらお祈りしている女性の姿が印象的だった。普段日本では宗教など意識せず生きている私には、人々が心から神を信じ祈りを捧げていることへの理解がやはりそれを目の前にしても難しかった。しかし、エルサレムやベツレヘムで過ごしたり、ムスリムやクリスチャンのご家庭にホームステイさせていただく中で、宗教がどれほど人々の心や生活の基礎を築いているのかということは体感することができた。
さらに、ユダヤ教徒対イスラム教徒の構図になりがちなイスラエル・パレスチナ問題において、スポットの当たりにくいキリスト教徒の存在も知った。東エルサレムを案内していただいた際には、追いやられて居場所がなくなった末に国外へと流れていくクリスチャンが多いことを教えていただいた。一方で、エルサレムではキリスト教徒の人権のために戦っている弁護士の方を、ベツレヘムではキリスト教徒のシスターがムスリムの子どもたちを献身的にケアしている施設などにも伺った。重要な役割を担っているクリスチャンにもっと注目が集まって、信仰する宗教関係なく人々が共存できる道を探すべきなのではないかと感じた。
ホームステイは両親と姉妹3人のご家庭にお世話になった。お父さんは様々な話をしてくれ、また娘2人は車を運転して説明しながらチェックポイントを抜けラマッラへ連れて行ってくれた。ラマッラからエルサレムに帰る際に通ったチェックポイントで、私たちもイスラエル兵にパスポートをチェックされた。また、彼女たちが英語で対応したところ兵士に「ヘブライ語で話さないとだめだ」と言われたと教えてくれた。今まで出会ってきたイスラエルの若者からは想像できない冷淡な対応に驚くとともに、こういった兵役を彼らもこなしてきたのかと思うと非常に複雑だった。
そして、分離壁を徒歩で通ってベツレヘムへ移動した。押し寄せる人、殺伐とした雰囲気、異様な存在感を放つ壁。「私たちには毎日のことだよ」と教えてくれた男性がいた。疲れているのだろうが優しく、どこか諦めたような表情が印象的だった。ツアー中に教えていただいた「パレスチナの人々は大きな監獄にいる」という表現は、決して誇張ではないことをこのときやっと体感をもって理解した。
飛行機に乗る前のイスラエルの出国審査に非常に時間がかかったことも印象的だった。特に私はなぜか綿密なチェックを受けた。靴を脱ぎ、服を脱ぎ、レントゲンをとられ、手持ち鞄の全ての荷物を何度も金属探知機で検査された。何も疑われることはないはずなのに、驚くほど心臓が鳴った。ツアーメンバーと、パレスチナ側からイスラエル側に入るとはこれ以上のことなのだろうと話をした。「私たちはチェックポイントで人生の大切な時間を盗まれている」心を殺して慣れなければ、毎日毎日のチェックには耐えられないと私は思った。
ツアー中何度も「平和とは何か」を考えた。結局この問題に対して、私には何ができるのか、どうしたら平和への道が拓けるのか、私は明確な答えを見つけられず途方にくれるばかりだった。しかし、施設や学校でひたむきに活動される方々を伺ったり、子どもたちの様子を見させていただく中で、小さな、でも確かな希望は見つけることができた。加えて、知ろうとしない限りお互いを知ることができないような環境の中で、平和を願い対話による解決を望む多くの学生にも出会うことができた。事前研修でもお話があったが、私は現地の人と友人になることが世界を平和に導く一つの方法だと思っている。全く知らなかった土地が、自分の足で歩き、会話をした友人のいる思い入れのある土地になる。それは相手を傷つけたくない、他人事でいたくないという気持ちに繋がっていき、無関心によって助長される全ての衝突に抗う力になると思う。現地の人々との多くの繋がりも、ツアーに参加したからこそ得られた非常に貴重な収穫となった。
私はこれから看護師として働き、将来的には海外で活動していきたいと考えている。今回の経験で将来活動する上で大切だろうことを学ぶことができたと思っている。相手を理解し、違いを認め、思いやり、時に許し、受け入れ、共に生きる道を探すこと。イスラエル・パレスチナに限らず世界中に虐げられている人がいて、知るべき考えるべき問題があって、一筋縄で解決できる問題なんてひとつもない。それでもこうして少しずつ自分の目で見て考えていきたいと改めて思った。ひとつひとつ他人事を「自分事」にして、その中で他の誰でもない私ができることは何かを考える。平和について皆で人種も何も関係なく語り合ったあの瞬間には、たしかに平和の種が蒔かれていたと思い返しながら、今後も何が起きるか予測できないイスラエル・パレスチナの土地を見つめ続けていきたいと思っている。そして必ずまたあの魅力的な土地へ訪れ、ツアー中にできたたくさんの友人と会い、平和とは何なのかを語り合いたいと思う。
(文 阿部 遥/
2017年スタディー・ツアー参加者、4年生)