▲写真:エルサレムにある岩のドームと嘆きの壁
鐘が鳴っている。祈りの時間を告げるアザーンが響き渡る。向かいから黒装束の正統派ユダヤ人が歩いてくる。そしてまたどこかの教会の鐘が聞こえる。
初めて訪れる聖地は、毎日が刺激的だった。帰ってきてからいろいろ調べても未だに疑問が尽きない。早くまた行きたいと、こんなにも強く思う国は初めてだ。
三つの宗教の聖地が集まる、エルサレムという地。
世界の多くの人々の根幹にある思想に少しでも触れてみたい、そんな理由で私は今回このスタディツアーに参加した。テレビでなんとなく観る、いつも争っている地域。正直、あまり良いイメージを抱いていなかった。
宗教に馴染みもなく世界史もきちんと勉強していなかった私は、今回ツアーに参加するにあたり、一から勉強し直した。キリスト教のアラブ人がいることにも驚いたくらい何も知らなかったのだ。
エルサレムの旧市街は宗教によって4つの地域に分かれている。
実際に現地に行ってみて、そこはただの観光地ではなく、民家や学校があり、実際に人々が普通に生活をしている場所だということを知った。
アラブ人のクリスチャンとムスリムが一緒に学ぶという旧市街にある学校を訪れることがあった。子供達の中で宗教の争いはないのかと聞いたところ、「とんでもない。ただの子どもの喧嘩はあるけれど、宗教が原因で争うことなんてない。それは大人たちの問題なのだから」と先生はおっしゃっていた。冷や水を浴びせられた気がした。
知らず知らずに、”争っている中東”を期待して質問していた、そんな自分にショックを受けた。ここには、当たり前だけれども、普通に平凡に暮らしている人々がいる。無邪気に遊ぶ子どもたちに、イスラエルもパレスチナもない。こんなにも優しい人たちが生活しているのに、なぜ争いが解決しないのだろうか。
ヘブライ大学で出会った日本語を学ぶユダヤ人学生は、アラブ人と一緒に日本のアニメについて語ることもあると話していた。
一方で、エルサレムに住むベツレヘム大学(ヨルダン川西岸地区)の学生の一人は、「イスラエル人とは友達になれない。彼らは必ず徴兵される。将来私たちの家族を殺すかもしれないのだから」と語ってくれた。ヘブライ大学では、あるユダヤ人の学生が「敵に攻撃されたらやり返すのは、自分たちの安全の為には仕方がない」と話していた。
私には優しかったアラブ人のホストファミリーが、ユダヤ人の話題になると険しい顔になった。今回のスタディツアーで何度か耳にした“enemy”という言葉は、日本で日本人として育った私には馴染みのない言葉であった。そんな言葉が日常にあることに悲しさを覚える。両者の分断を実感した瞬間だった。
パレスチナ自治区は分離壁で囲まれているが、アラブ人とユダヤ人が一緒に住むエルサレムでも、それぞれが住む地域は分けられている。「ここから右がユダヤ人地域、左がアラブ人地域」とホストファミリーが車で家に帰りながら教えてくれた。ただ1本の道で隔てられているだけなのに、確かに建物や雰囲気は違っていた。
今回のスタディーツアーでは、ヘブライ大学や入植地およびテルアビブではユダヤ人側の話を、ベツレヘム大学や難民キャンプではアラブ人側の話を聞くことが出来た。
ホロコースト記念館の「ヤド・ヴァシェム」も衝撃的だった。収容所で脱がされた靴の山や、ユダヤ人が拘束されているのを笑いながら見ている人の写真が忘れられない。悲惨な過去に心を打たれた。と同時に、ユダヤ人は魅せるのが上手いな、と感じた。しかし入植地で観たドキュメンタリー映画のアラブ人の粗雑な描きかれ方には目を見張るものがありました。
最後に訪れたテルアビブでは高層ビルが並び立ち、東京と全く変わらない雰囲気だった。第二のシリコンバレーと呼ばれるまでITが発達しているそうだ。
一方、紛争の現状の中で、日々の生活を精一杯生きるしかないパレスチナ人の話を聞いて、イスラエルとの違いを痛感した。分離壁のチェックポイントを通らなければならないので、車で30分の距離を何時間もかけて通学するそうだ。
他にも国際法に違反する制度や法律が横行している事実も、私には衝撃だった。大っぴらに禁止されているわけではなくても、住民登録の申請が通るのに何年も時間がかかったり、そのせいで子どもがサッカーの遠征についていけなかったりする。遺跡があるからと、一方的に家を追い出される。当たり前に学びたいことを学ぶ自由も移動の自由もない生活を強いられている、そんな現状がある。
難民キャンプの子どもたちは、自分の帰るべき故郷を知らない。故郷に帰るよりも、今の生活の安全が欲しいと言っている人もいた。
エルサレムのアラブ人の支援をしているユダヤ人弁護士が、「アラブ人はエルサレム市議会の選挙をボイコットして投票に行かない。投票して、彼ら自身の力で変わっていって欲しいのに。結果、政治は変わらない。」と言っていた。なんで投票に行かないのか、彼らには一筋縄では行かない事情があるのだろう。
私は今まで宗教という一面でしか問題を認識していなかった。政治や経済など複雑に絡み合ったこの問題について考え、個人の思いの積み重ねが紛争を複雑化していく、そんな言葉を思い出した。
政治や経済などが複雑に絡み合ったこの問題を、個人の思いの積み重ねが複雑化していく、(誰かが言った)そんな言葉を思い出しました。
ちょうどイスラエル総選挙の時期だったからだろうか、帰ってきてからイスラエルやパレスチナという言葉が目に付く。こんなことは日本では知らなくても生活していける、今まではそうやって生きてきた。しかし、今ではあの国には親切にしてくれたホストファミリーや友達がいる。イスラエル・パレスチナの問題はもう私には他人事に思えない問題になった。
私は、今回の経験をどう生かしていけばいいのか、まだ道を見つけられていない。
個人の努力では変えられない理不尽な状況に苦しんでいる人がいる。“平和”というものに対して人生を捧げて取り組んでいる人がいる。そんな人々から直接話が聞けたことが、このツアーに参加して得た貴重な体験である。
また、異なる立場にいる人々の意見を聞いたことで、得た情報を自分で吟味することの重要さも学んだ。今回出会った人の中にも様々な人がいて、同じ立場でも違う意見を持つ人がいた。
このツアーでは10日間とは思えない密度の濃い日々を過ごさせていただいた。
とはいえ、たった10日間で体験できたことはほんのわずかなことだ。これからも学ぶことをやめず、私にできることは何かを模索して行きたいと思う。
(文 秋山 佳穂/
2019年スタディー・ツアー参加者、大学3年生)