ハマスは医療、福祉などでの地道な活動で民衆の支持を広げました。一方で、ハマスはイスラム国家の実現を目指すムスリム同胞団の流れをくみますから、住民の日常生活もイスラム法で縛ろうとします。現代にあって宗教国家を実現した国としては、1979 年のイスラム革命で故ホメイニ師を最高指導者としたイランの例があります。筆者は特派員としてイランにも赴任していたことがあり、宗教が国家の権威である社会を見聞しました。街にはコミテという、風俗取り締まり警察ともいうべき人々が巡回し、女性がきちんと髪を隠し、体のラインが露わな服装をしていないか、未婚の男女が連れ立って歩いていないかなど、イスラム教の決まりに背く者に目を光らせていました。
最近訪れたイランはコミテの存在もなく、女性がかぶるスカーフが頭髪を十分に隠していなくても、あるいは公園で明らかに未婚の男女がいちゃついていても、取り締まられる様子はありません。ずいぶん普通の国になってきています。それに対し、ガザではかつてのイランのような風俗取り締まりが行われるようになったと聞いています。
そこへいくとイスラエルは、国が宗教的規制など設けない自由な国のようですが、ユダヤ教で安息日とされる土曜日は公共の交通機関は止まり、商店も原則として開けてはならないことになっています。
休日を楽しみたい「世俗派」の国民には不評ですが、これらは法律で決められていることです。国会の議決のキャスティングボートを宗教政党が握っているため、宗教的要求が通るから起きる事態です。
総選挙で小政党でも議席を取りやすい比例代表制をとっているイスラエルの国会は常に小党乱立で、1948 年の建国以来、第 1党が絶対多数を制したことがありません。どの政権も宗教政党の助けを借りないと票決で過半数を得られない状況が続き、引き替えに宗教的要求をのんできたのです。筆者がエルサレム支局で特派員をしていたころ、手厚い子供手当が支給される法律ができました。恩恵を被ったのは「産めよ、増えよ、地に満ちよ」の旧約聖書の教えに沿って子沢山の家庭が多い宗教政党支持者でした。宗教勢力の「少数派による支配」に憤る我が支局助手は「宗教上の理由から兵役に就かずにすむ人々が、兵役を務め、税金をしっかり納めている我々よりも優遇されている」と、苦々しげに言っていました。
とはいえ、こうした宗教上の規制や不公平と思われていることも、合法的な手続きを経ているものです。それでいえばハマスも、2006 年1月の評議会(パレスチナ自治区の国会に相当)の選挙で過半数の議席を獲得、自治政府首相もハマスから合法的に選ばれていました。しかし、ハマスがイスラエルに対する武装闘争路線を維持しているため、アメリカやEUなどからテロ組織と認定され、支援が止められました。このような背景の中でファタハ側は非常事態を宣言してハマス政権を非合法化したのですが、ガザ地区で強い勢力を持つハマスは翌年、武力でガザの実権を握ったのです。
確かにハマスは、対イスラエル武装闘争を主張するだけでなく、実際にロケット攻撃なども仕掛けています。しかし、テロ組織と呼ぶ党派が代表しているからといって、その地域の住民全体をテロリストと見なすかのように封じ込められ、イスラエル軍によるハマス掃討作戦では巻き添えにされても仕方ないとばかりに扱われてはたまりません。そんな異常事態を支えているのは、アメリカのブッシュ前大統領が唱えだした「対テロ戦争」という標語で、テロとの戦いと言えばどんなことも正当化される風潮が蔓延しています。
イスラエルのネタニヤフ政権は、パレスチナ自治区の正当な代表とみなされているファタハ系の自治政府をも、それがハマスと和解して統一した政府を作れば(現にこの夏、暫定統一内閣作りに動いています)、「テロ組織を受け入れた」と称して交渉相手にしない態度をとっています。しかしそれでは、ハマスの構成員だけでなく支持する人々も壊滅させなければパレスチナ側との交渉はできない、ということになります。
現在イラク、シリアで「イスラム国」という過激派が勢力を伸ばし、イスラム教に基づく支配を標榜して他教徒の存在を許さず、女性の人権を無視する蛮行を繰り返しています。このような話し合いの余地を見出せない暴力組織と、「テロ組織」という呼称でひとくくりにせず、ハマスのどういう主張が受け入れられないのか、どういう問題なら話し合う余地があるのかなどを探り、交渉の場に引き出さないかぎり、和平交渉の再開・進展は望めないでしょう。
(文 当団体理事 村上宏一/元朝日新聞エルサレム特派員、中東支局長)