▲写真:ベツレヘム大学での交流
今までも幾度か海外へ行き本ツアーのようなスタディーツアーにも参加したことがあるが、帰国後もこれほど心に深く残り日々考えさせられる感覚は初めてだ。
というのも、イスラエル・パレスチナに関して知りたいことや疑問が次から次へと出てきて、現地で見て聞いた事実に対して未だに消化しきれていない感じが抜けないのだ。
特にイスラエル・パレスチナの双方が互いをどのように感じているのかもっと知りたかった。
しかし、現地の様子は、入植地の建設現場や分離壁などイスラエル・パレスチナ間の衝突があることは見受けられるが、それを日々日常に感じさせることはなくそれぞれの場所で生き生きと若者や家族の生活している様子が和やかで印象的だった。
渡航前から私は、イスラエル・パレスチナの青年との交流を1番の楽しみとしていた。
彼らと交流していて強く感じたのは、少なくとも交流の間の彼らにはイスラエル、パレスチナという2つの区別は存在せずどちらも変わらない若者であることだ。
私自身イスラエル、パレスチナという大きな枠組みで彼らを捉えることはなく、あくまで現地で出会った1人として相手を捉えていた。
現地での交流の中で印象的だった出来事が2つある。
1つはパレスチナにあるベツレヘム大学に訪問した時のことだ。
私は、そこで初めてパレスチナ人のIDカードには2種類あり、片方はパレスチナの外に出られないことを知った。その事実を年の近い学生から聞いた時に胸がキュッと苦しくなった。
海外の大学で勉強したいと思っても海外に行けない、という彼らの心の内が胸に響いた。
その後もある学生と昼食を共にする機会があり、互いの大学生活の話で盛り上がり彼女とはすっかり打ち解けた。
ある会話の中で彼女もパレスチナの外に出られない1人であることが分かった。
気軽に「日本にも遊びに来てね」とは言えず、同年代で仲良くなった彼女がパレスチナから出られない不自由さを感じていることに何ともいえない複雑な感情を抱いた。
そして、2つ目、これはイスラエル・パレスチナの双方に言えることだが、彼らは互いの生活をほとんど知らないのだ。
皮肉にも分離壁によって双方向の情報が途絶え、互いに互いを知らないことに衝撃を受けた。
隣り合っているのに、すぐ側に住んでいるのに、それぞれに暮らす人々の合流の場がなく相手をよく知らないまま対立している、と言われることにただ違和感を覚えた。
そこで、イスラエルとパレスチナの人々にそれぞれのことを知ってもらいたいと強く感じた。
しかし、本当に双方がその情報を求めているのか、知りたいと思っているのか、疑問が生じ私が一方的に伝えることはどこか違う気がして躊躇った。
ツアー中は、立場の違いについて特に考えさせられた。
というのも、同じ「平和」というテーマに対しても、例え現在も和平が実現されていないイスラエル・パレスチナ間であっても人それぞれだった。
日々平和について考える必要がないほどに、大好きな家族と過ごす生活に幸せを感じているホストファミリーや、対立によって過去に実の妹を亡くした経験から、平和に向けて自分のできる精一杯の活動を行っている女性、パレスチナに住んでいながらも市民権を得られず難民キャンプの暮らしから抜け出すことが難しく平和、自由を強く訴えるパレスチナ難民。
少し立場が違えばその人を取り巻く状況に伴い考え方や価値観は大きく変わる、そしてどの考え方にも正誤は存在しない。
当たり前のことだが時には相手の考え方を受け入れられず自分の主観が先走ることがあった。
そんな時は後でもう一度その人の立場をよく考えたうえで冷静に考え直す姿勢が大切だと思ったし、立場が異なる人との対話を進めることがどんなものか少しであるが感じることができた。
そして様々な立場からの話を聞いて自分はどの立場で意見を述べるのか、イスラエル・パレスチナ問題を第三者という立場で捉える時、中立でいる必要があるのではないかと考えていたが、常に中立でいることなど不可能だしそもそも中立に縛られる必要はなく、主観を交えながらも最終的に客観視することが大切なのではないかという結論にいきついた。
この10日間はイスラエル・パレスチナそれぞれに暮らす人々の生活をこの目で見て、自分とは異なる環境の中に身を置く人々と出会うことで新しい発見を多々もたらしてくれた。
現地で出会ったイスラエル・パレスチナの人々の心のうちまでを知り尽くすことはできなかったけれど、彼らの日常がどういうものか一緒になって感じて寄り添うことはできた。
私自身ツアー中は総じて、イスラエル・パレスチナ問題という大きな観点から物事を考えることよりもただ純粋に現地での出会いを楽しんでいたように感じる。
(文 平田 すみれ/
2018年スタディー・ツアー参加者、大学2年生)