「イスラム国」を名乗るテロ組織による日本人の人質殺害事件は、テロへの対処を含め国際問題に日本がどう取り組むかという課題を突き付けました。
人質殺害の予告という声明は、安倍首相が外遊先の中東で「ISIL(注)と闘う国々に対し、人材開発やインフラ整備をするために2億ドルの援助をします」と表明したことをとらえたものでした。
首相発言のこの表現が、日本を敵対国だとの定義づけを誘う軽率なものだったと指摘する声が、主に中東情勢に詳しい識者などからあがっていましたが、国会で、人質を取られている状況下での支援表明について危険を冒す心配はないかを確認するリスク管理について問われた首相は「リスクを恐れるあまり、このようなテロリストの脅かしに屈すると、周辺国への人道支援はおよそできなくなってしまいます」と答弁しました。
「脅しに屈しない」と言えば反対しにくいし、強気の言葉は受けがいいものです。しかし政府は、二人が人質になったことを首相の中東歴訪の前から把握していたのです。その間、解放へ向けて何か手を打っていたのかという疑問は別にしても、人命がかかっている状況の中で、人質を押さえている組織に付け入られるような言動がないようにと、首相に対する注意喚起はなかったのかという疑問が残ります。その点で「軽率な発言」と追及されても仕方ないでしょう。
とはいえ、「脅しに屈するな」という声が大きい中で、人質解放に努力すると言っている相手に対するあからさまな批判は、しづらいものです。ましてや総選挙の前あたりから、政府や与党に批判的な番組内容が「偏向報道」だと言われ、テレビ局に自粛というか萎縮ムードが強まってきたご時世。政権批判の声はあまり表に出ませんでした。
そこへ2月1日、ジャーナリストの後藤健二さん殺害が伝えられました。これを受けた朝のニュースバラエティー番組で、コメンテーターの1人が「首相がテロリストの罪を償わせると言っていたが、どういう償い方をさせようというのか」と危惧の念を表していました。
ちなみに、この首相発言をとらえてニューヨーク・タイムズはすぐさま、「平和主義からの逸脱/安倍首相、殺害への報復誓う」と報じました。日本人の多くは、このような受け取られ方を意外に思いそうです。しかし、国際社会では首相の「罪を償わせる」という言い方は、単なる強い決意を述べる言葉のあやとは受け取られないと思うべきです。
ニューヨーク・タイムズの英語での表現はPrime Minister Abe reacted with outrage, promising “to make the terrorists pay the price”となっています。そして、次のように続けています。「このような報復宣言は、西側諸国のリーダーが過激派の暴力に直面した場合にはよくあるものだ。しかし、対決を好まない日本では前代未聞のことだ」と。
「罪を償わせる」と言って報復する武力を持ち、実際に実行するのがアメリカです。2001年9月11日の同時多発テロに対し、報復として開始したのがアフガニスタン攻撃でした。その結果はテロ組織壊滅には至らず、「対テロ戦争」の名目で始めたイラク戦争も、破綻国家を生み、テロリストの横行を助長する混沌を増やしているのが実情といえるでしょう。
日本はどのような道を選択すべきでしょうか。今は選択の岐路にあるのではないでしょうか。
後藤さんが結局は殺害されるという衝撃的な結末は、テレビの出演者が安倍政権の姿勢を危ぶむ発言をする空気を生んだ気もします。一方で、公の場で発言を求められれば「テロは許せない」「テロに屈してはいけない」という声が大きいでしょう。では、武力を増強してテロに対抗する体制を固めればいいのでしょうか。
安倍首相の国会答弁を繰り返せば「リスクを恐れるあまり、このようなテロリストの脅かしに屈すると、周辺国への人道支援はおよそできなくなってしまいます」となります。こう言われると、もっともなように聞こえます。しかし、人道支援とは必ずしもリスクを抱えながら、それをものともせずやるものだというのではないはずです。「何がリスクを生むのか」が問題で、首相の言い方は順序が逆です。リスクを生まない人道支援というものがあり得るはずです。地道な人道支援をしてきた日本だから、また、力に任せて一方的な「正義」を押し付けることを戦後はしてこなかった日本だから、テロの標的とはなりにくかったし、人質に取られた時も当事国の人たちが仲介に動いてくれる例があった、という一面を見るべきだと思います。
9・11同時多発テロの後、米ブッシュ大統領がイラク攻撃を主張し始めた時、欧州諸国の多くがまだ懐疑的な中、時の小泉首相がいち早く支持を表明したあたりから、国際社会の中での日本の見え方が変わってきたかもしれません。そんな中で安倍政権は、集団的自衛権の行使条件を緩め、アメリカに協力して「自衛のための戦争」に自衛隊を派遣できるようにするのを目指しているようです。そして今回の事件を機に、その目的推進の動きを強める可能性があります。「いつ何時、海外の邦人に危難が及ぶかわからない」として、救出のための自衛隊出動の必要性を強調する好機と見れば、です。
誘拐などを含む危難にどう対処するかは、確かに考えねばなりません。ただし、日本が対テロ同盟に武力的にも貢献する姿勢を鮮明にすれば、非政府組織(NGO)で援助活動をする人たちをはじめ海外にいる日本人が誘拐や攻撃の対象になる可能性が高まることは確かです。
問題は、テロに対し毅然と立ち向かうか弱腰になるかという、単純な議論ではなく、国際社会において、日本がどのような国であろうとするか、の問題だと思います。日本が「国際貢献」という名目の下であろうと、武力を背景にした紛争解決路線に傾くことに懐疑的な人たちも、テロ組織が日本人を人質にとって脅してきたら何でも要求を呑むべきだ、という話をしているわけではありません。そのような事態を少しでも防ぐ手立てとして、文字通り地道な人道支援で頼られる国になることを願っているわけです。そして、その路線をこれまで以上に鮮明に打ち出すことが一つの道です。
これに対し、自らの武力を高めたり同盟国の軍備に貢献したりすべきだ、というのも一つの選択です。安倍首相は2月2日の国会答弁で、「イスラム国」に対して空爆を行っている有志連合への後方支援は行わないし、日本が空爆などに参加することはありえないと述べ、慎重な姿勢を見せています。しかし、集団的自衛権に絡む法整備が進む中で、どのような支援を可能にしようとするのか、見守らねばなりません。
人質が殺害されるという事態を目の当たりにすると、憎しみと怒りで強硬な意見が高まりがちです。一方で、事件を政府の失態だと追及して政争の具にしようとする動きもなおあるでしょう。感情的あるいは打算的な思惑からの議論や非難合戦を排して、日本はどの道を行くべきかを真剣に議論すべき時だと思います。
(注)ISIL(Islamic State of Iraq and Levant):イスラム国の旧称で、Levantはシリア、レバノン、イスラエル一帯を指す地名。日本政府は「イスラム国」と呼んで独立した国のような印象を与えるのを避けるため、旧称を使うとしている。新聞などでは自称であることを示すため「イスラム国」とカギかっこを付けて報じることが多い。
(文 当団体理事 村上宏一/元朝日新聞エルサレム特派員、中東支局長)