イスラエルの総選挙が3月17日に投票され、即日開票の結果、ネタニヤフ首相が率いる中道右派政党リクードが国会の120議席中30議席を獲得し、第1党となりました。ただし、過半数には遠く及ばず、イスラエル政治の常として複数政党による連立内閣を組むことになります。この原稿が掲載されるころ(5月)に新政権が成立しているかどうかはわかりませんが、これまでのネタニヤフ政権と同じ右派色の強いものになるのか、国際社会の目も意識して中道色を取り込むのか、などが注目点です。
選挙前の世論調査では、建国以来長くイスラエルの政治をリードしてきた労働党や、ほかの中道左派政党が作った統一会派である「シオニスト連合」が第1党になるとみられていました。シオニスト連合は、パレスチナ和平交渉に否定的なネタニヤフ政権を批判しつつ、物価高に不満を持つ有権者を意識して経済政策を中心に選挙戦を戦いました。
これに対しネタニヤフ首相は、選挙戦の終盤に「私が首相でいる間はパレスチナ国家はできない」と表明、また「私に反対するアラブ系市民が群れを成して投票所に向かっている」という趣旨の発言をするなど、和平に反対しアラブへの嫌悪感を強める右派・保守層の取り込みを図りました。リクードが改選前の議席に12も上乗せし、右派・極右政党が計11議席減らしたことは、それが成功したことを示しています。選挙後、パレスチナ国家否定の発言を撤回し、アラブ系イスラエル市民に関する表現について「傷つけるつもりはなかった」と謝罪したことからも、一連の発言が右派向けにアピールするのが狙いだったことがうかがえます。
選挙の結果の議席配分は、リクード30、シオニスト連合24、アラブ統一会派13、中道の「イエシュアティッド(未来がある)」11、「クラヌ(我らすべて)」10、右派「ユダヤの家」8、極右「イスラエルわが家」6、左派「メレツ」5、宗教政党の「シャス」7、「ユダヤ教連合」6となりました。
イスラエルの選挙制度は一院制の国会の120議席を比例代表制で選ぶもので、1992年までは投票総数の1%を獲得すればどの政党も国会に議席を得られました。少数者の意見も反映され、死に票がきわめて少ない利点がある半面、多数の小党ができて連立政権しか作れず、少数派の意向に振り回されるという欠点もあります。1949年の第1回総選挙以来、単独で過半数を制した政党は一つもありません。その後、議席獲得に必要な「足切り」得票率は93年に1.5%、2003年には2%へと修正され、今回の選挙から3.5%に引き上げられました。
この改革は、アラブ系政党の躍進という副産物をもたらしました。イスラエルにはパレスチナ側との境界線内に残ったアラブ系の市民がいます。人口の約2割を占める彼らの地位は微妙です。「ユダヤ人国家」への忠誠を求められて素直に従える人がどれほどいるものか。敵対的なアラブ諸国に囲まれた中で、アラブの脅威を強調しパレスチナ人との共存に否定的なユダヤ人は、境界の「こちら側」に住む「潜在的なパレスチナ人」も脅威と見なします。そして右派勢力は「われわれに逆らう者はパレスチナ自治区へ追放すべきだ」と主張するなどしてアラブ系市民への憎悪を煽ります。これに対しアラブ系の側でも「人種差別に反対し対等な権利を求める」との意識が強まり、国会に代表を送る選挙への熱も高まります。これまでは主義主張の対立で、国会に議席を得ても複数の小政党に分かれていましたが、比例代表議席を得るためのハードルが高くなったことで議席を得られなくなるおそれが出てきたため、大同団結したのです。その結果、統一会派は第3党の勢力を得ました。
とはいえ、アラブ系政党が政権に加わることはありません。リブリン大統領から組閣に取り組むよう要請されたのは、第1党リクードのネタニヤフ党首です。同党首は、1995年11月に時の首相ラビン氏が暗殺された翌年の選挙で、労働党を破り首相になりました。パレスチナ側による自爆テロに怯え、領土を与えてパレスチナ国家を認めることに反対する機運の高まりを追い風にしたのです。
3年後に、一時的に採用された首相公選制で敗れたものの、リクードの右派を率い、2002年にパレスチナ国家反対を党内決議させて同党分裂の元をつくりました。09年2月の選挙では▽イランの核武装阻止▽パレスチナ自治区のガザ地区を実効支配するイスラム強硬派ハマスへの攻勢強化▽ユダヤ人入植地拡大、といった強硬方針を掲げて躍進。第2党ながら宗教右派、極右政党の支持を得て連立内閣をつくり、首相に返り咲いたのです。
先に述べたように、今回の選挙でも強硬発言を繰り出し、予想を覆して勝利したのですが、その背景とみられているのはイスラエル国内に根強い「脅威に囲まれている」という意識です。脅威とは「イランの核」「ハマス、ヒズボラ(レバノンのイスラム教シーア派勢力)のロケット弾という目前の敵」「ISなどのイスラム過激派の台頭」のこと。このようなムードの中では、領土を譲るなどの和解政策より強硬政策の方が支持を得やすく、ネタニヤフ氏は、そこを狙って右派のライバルから票を奪ったわけです。
ネタニヤフ政権の継続で、パレスチナ和平の機運はますます遠のいたという観測が圧倒的なのは当然でしょう。ただし、イランとの核協議を進めようとしているオバマ大統領の政策を批判して米政権との溝が深まり、入植地拡大を公言するなどパレスチナ和平に後ろ向きな姿勢は仲介役の米国だけでなく西欧諸国からも反感を買っています。国内でも、物価高など経済政策への不満が強く、それを吸収して世論調査ではリードしていたシオニスト連合を取り込むのも選択肢の一つです。シオニスト連合に加えほかの中道勢力とも組めば、優に過半数を取れます。しかし政権の主導権を中道にとらせたくはないでしょう。そもそも、和平問題で融和的な政策をとれば支持基盤の右派勢力から批判を浴びます。結局は中道右派から極右までの右の勢力に宗教政党を合わせた連立という、これまでとあまり変わらない路線に落ち着く可能性が一番高そうで、そうなればパレスチナ和平交渉の再開、進展という見通しはなかなか開けそうにありません。どういう連立内閣ができるか、気になるところです。
(文 当団体理事 村上宏一/元朝日新聞エルサレム特派員、中東支局長)