▲写真:支援先の学校の子どもたちとの触れ合い
2017年度イスラエル・パレスチナスタディーツアーに参加して私の中で特に印象に残っていることについて2点ピックアップし、最後に両国への私からの想いをまとめました。
まず一つ目は、この紛争についてイスラエル人とパレスチナ人の問題意識の差です。イスラエル人側は「パレスチナ人=テロリスト」、「パレスチナ人は平和交渉に応じない」という意見がありましたが、ほとんどのイスラエル人はこの問題に興味がなく、自分には関係ないこと、と思っているような印象を受けました。一方、パレスチナ人の主張は強く「イスラエル人がパレスチナ人の平和や自由を奪っている」、「イスラエル軍は理由なくパレスチナ人を殺す」など、私たちが質問すれば家族みんなが今までの経験やイスラエルに対する思いを話してくれました。
実際私もエルサレムでイスラエル軍のパレスチナ人に対する横柄な態度を目の前で目撃しました。夜、車でラマッラに行き、帰りにチェックポイントを通りました。そのとき私のホストシスターが英語でイスラエル軍と話しているとき、ヘブライ語で話せ、と言われたらしくその時シスターは落ち着いて受け答えしていましたが、チェックポイントを過ぎてからはイスラエル軍の態度に怒り、パレスチナ人が平和な関係を望んでもイスラエル人は拒否する、と言っていました。特にエルサレムに住むパレスチナ人は日々イスラエル人への怒りと恐怖を感じていますが、壁と軍によって守られていると考えているイスラエル人にはこの長引く紛争に対する意識はないのだなと思いました。
また、分離壁についても、パレスチナ人が攻撃してくるのだから自分たちの身を守るために壁は必要という意見を一人に大学生から聞きました。しかし、ここで私が感じたのはそもそもイスラエルが勝手に入植地を広げ、理不尽にパレスチナ人に危害を加えるからそれに反発してパレスチナ人が攻撃するのであって、イスラエルが何も手を加えなければ紛争は長引かなかったのではないかと思いました。どれほどのイスラエル人がその壁が決められた国境を越えて作られていることについての認識があるかはわかりませんが、ルールを無視してパレスチナ人の生活を侵しているということをイスラエル人にもっと知ってほしいです。
パレスチナ側も平和交渉に前向きな姿勢を見せなくてはならないと思いました。ベツレヘムのお土産屋さんにオリーブの木の枝を加えた平和の象徴である白いハトを銃で狙っているポストカードをたくさん見ました。世界中の人がこの絵を知ったら、パレスチナ人は何て残忍な人たちなのだろうと非難するかもしれません。武力で解決できる問題ではないということを今までの歴史からなぜ学ぼうとしないのか、パレスチナは平和を望んでないのかと思ってしまいました。
二つ目はパレスチナで訪れた施設の聴覚障害児の学校エフェタ、名誉殺人を免れた幼児保護施設クレーシュ、難民キャンプの子供たちのための音楽学校サウンドオブパレスチナについてです。
まず、エフェタでの教育方法に感銘を受けました。手話ではなく相手の口の動きを見て何を話しているのか理解し、話す練習をするということは日本の手話教育よりも実用的で社会に出ても不自由なく生活できるものです。エフェタにいる子供たちはこの方法を習得するまでに日本で手話を覚える人よりもはるかに時間がかかります。しかし手話では、手話を知らない人とのコミュニケーションはとれないし、ほとんどの日本人が手話を知らないので社会では役に立ちません。この教育を途上国であり紛争中のパレスチナでやっているということに驚き、日本でもぜひ取り入れてほしいものだと思いました。
次に、クレーシュでの体験を私は毎日のように思い出します。2歳児くらいの部屋に入って私はたまたま一番近くにいた緑色ののに乗り物に乗っている男の子の近くに腰を下ろしました。その子の顔と頭を見てきっと何か障害がある子だろうとすぐにわかり、母親のおなかにいる間にその子を殺すために母親やその家族が暴力を振るったのではないかと思いました。男の子は私のことを見て三輪車から一生懸命降りて、はじめはこれから何をするのだろうと思っていたのですが、私の膝の上にのって抱きしめてくれて、その時初めてこの子は私に抱きしめてもらいたかったのかとわかって私もその子を撫でながらハグしました。この子は本当のお母さんぬくもりを知らないまま今まで育ち、これからも一生本当のお母さんからの愛を受けることはできず、一生心に大きな傷を負ったまま生きていかなければなりません。次に遊んだ女の子もはじめは私の子と少し警戒するように見えましたが、だんだんと仲良くなって、私たちが部屋を出るとき彼女はずっと私の両手を握ったままドアまでついてきました。私はその子の手を放して移動しなければならなかったけどどうしても放すことができず、施設の方がその子を抱きかかえて扉を閉めました。窓からその子が泣いているのが見えました。
ここにいる子供たちは母親だけでなく、誰からも望まれずに生まれてきました。子供たちは6歳を過ぎたらここを出なくてはいけません。名誉殺人で親を亡くして育った子供は特定の姓を与えられて、名前を聞いただけでその子がけがれた母親の子供であることがわかってしまいます。なぜ政府はなぜこの子たちを救おうとしないのか、なぜこの子たちは何も悪くないのにどうしてほかの子と同じような人生を送ることができないのか、なぜこの21世紀に名誉殺人なんてものがあるのか、ここを出てから彼の人生はどうなってしまうのか、罪のないこの子たちのことを思い出すたびに怒りと悲しみをこらえることはできません。
サウンドオブパレスチナでは8人くらいの小学校低学年くらいの小さな子供たちが先生に習いながら大きなチェロを演奏していました。私は音楽について何も知識はないし、何の楽器も演奏できませんが子供たちの姿と音色でなぜか涙が出そうになりました。この施設を訪ねる数日前に私たちは難民キャンプに行って中の状況を見てきました。キャンプ内の家に行き彼らとも話しました。家というのは私たちが想像する家ではなくぼろぼろの小屋という感じでした。キャンプでの生活は私たち日本人では想像できないくらい悲惨で、ここに住む子供たちは毎日楽しいのか、将来の希望や夢はあるのかと思いながらキャンプ内を歩いていました。国連のオフィスがキャンプの中にあるにもかかわらず、外観は今にも崩れ落ちそうでもはや機能していませんでした。子供たちの親は毎日の生活がぎりぎりで子供たちに何か新しいことをさせてあげる余裕はもちろんありません。父親がイスラエル軍に殺されたり、理由なく投獄されているなど片親の家族も多くあります。
サウンドオブパレスチナでは、そのような難民の子供たちの日常に、楽しく、何か新しいことにチャレンジする機会を音楽というかたちで無料で提供しています。今は難民と呼ばれる子供たちであっても、バイオリン、チェロ、クラリネットなど普通の子供ではできない楽器を演奏することができます。もしかしたら才能が開花するかもしれないし、自分は楽器を演奏することができるという自信にもつながります。この施設を訪れ、音楽を学び休憩の時間に軽食を取りながら先生たちと楽しく過ごす子供たちの心温まる姿を見ることができました。しかし、同時に、すべて寄付で成り立っているこの施設が今後どうなっていくか心配になりました。もしすべての支援がなくなってしまったとき、子供たちの笑顔も消えてしまいます。
最後に、私は今回このスタディーツアーに参加して、この二国間の平和のために、お互いがもっとコミュニケーションを取り、理解しあい、許しあうことが必要だと改めて実感しました。このことがわかっていても解決しないのが国家間の紛争でこれが日常だと思っている彼らはもはや話し合いなどしなくてもいいと思っているかもしれません。私たち参加者メンバーの役目は普段交わることのないイスラエル人とパレスチナ人にコミュニケーションの機会を与える重要な立場にあると思います。お互いのことをよく理解せず、メディアや周りの影響で偏見をもっていてはいつまでもこの紛争は続きます。信頼関係を築くのことは時間はかかるかもしれないけど私たちの活動を通じて一歩ずつ平和の道に近づいていくことを祈っています。
(文 佐田 さつき/
2017年スタディー・ツアー参加者、1年生)