▲写真:ベツレヘム大学からの眺望
12日間のスタディ・ツアーで受けた感動とショックは、自分では抱えきれないほど大きいものだった。
名誉殺人を逃れて育つ子供たち
ベツレヘムで訪れた場所の一つに、未婚の女性から産まれたことで名誉殺人の犠牲者になるはずだった子供たちを保護する施設「クレーシュ」がある。
ここで育つ子供達は、戸籍上の問題で一生パレスチナから出ることが出来ない。
何も知らず無邪気に遊ぶ子供達が、自分で選べない出生のせいで生涯に渡って移動の自由を奪われる、という話にショックを受けた。
そして、全ての子供たちの将来が自由で幸せなものになるように、自分に何かできないかと初めて真剣に考えた瞬間だった。
パレスチナの学生の将来
西岸地区のデヘイシャ難民キャンプでは、同年代のパレスチナ人の学生たちの話を聞いた。
もちろん、難民キャンプの貧しい状況下で大学に進学することは容易ではない。
たとえ進学のチャンスを掴んだとしても、国際関係や科学を専攻するとイスラエル政府から目をつけられるそうだ。日本では当たり前の学問の自由。
しかしパレスチナ人にとっては、興味のままに学ぶことすら難しい。同じ学生の立場として、その理不尽な現状に対して悲しみ、怒りが湧いた。
紛争が他人事で無くなる
私たちが日本に戻ってきてから、イスラエル・パレスチナ情勢は再び悪化の一途をたどっている。
スタディ・ツアーで訪問したデヘイシャ・キャンプでも、イスラエル軍に18歳の若者が殺害されたそうだ。
ツアー中の情勢は比較的落ち着いていたが、イスラエル人学生が「今は静か(silent)な状態だけど、これは平和(peace)ではない」と繰り返し語っていたことが思い出される。
イスラエル・パレスチナにおいて、「静かな状態」が如何に脆いものかを痛感した。
帰国してからは、パレスチナ関連の報道が、ツアー参加前より心に重くのしかかるようになった。
もし出会った人々が苦しい状況に陥ったとしても、日本にいる自分は無事を祈るしかできないことがもどかしい。
いつかまた、イスラエル・パレスチナ、特にパレスチナ難民キャンプを再訪したい。
その時には「無事を願う」以上のことができる自分になっていたい。
(文 山田 涼華/
2019年スタディー・ツアー参加者、大学1年生)