毎年お願いしている出川展恒氏(NHK解説主幹)による講演は、今年も新型コロナウイルスの感染が収まらないため、インターネットによるオンライン形式となりました。概要をお伝えします。
トランプ時代の負の遺産
今年はアメリカでバイデン新政権が誕生、イスラエルでは2009年から首相の座に居続けたネタニヤフ氏が退陣、イランの大統領選では国際協調派に代わって保守強硬派の選出、という変化が生まれ、中東情勢にとって重要な年となりました。
パレスチナ問題
アメリカの新大統領バイデン氏は去年の選挙中から、トランプ氏の政策をやり直すと言ってきました。パレスチナ問題では「二国家共存」による解決を目指すということですが、以下に示すトランプ時代の負の遺産があまりに重く、難しいと言わざるを得ません。
2017年、国際的には、イスラエルの首都として認められていないエルサレムを首都と認定、翌年には大使館をテルアビブからエルサレムに移転したほか、パレスチナ支援をストップ。ヨルダン川西岸へのユダヤ人入植は国際法に違反しないと明言し、シリア領だったゴラン高原のイスラエルによる一方的併合を容認。去年1月には極端にイスラエル寄りの独自の中東和平案を発表し、夏以降はアラブ諸国の対イスラエル国交正常化を仲介。
パレスチナ側はトランプ退陣、バイデン政権誕生にそれなりの期待をしています。そのバイデン氏は聖地の教育支援への皆さまのご支援をお待ちしています!ヨルダン国王との電話会談で「二国家実現」で一致していますが、大使館をテルアビブに戻すとは考えていないし、パレスチナ問題解決の具体的戦略は用意していないように見えます。コロナ禍からの経済回復という国内問題に追われ、外交では対中国、中東では対イランに重点を置き、イスラエルによる西岸の併合や入植地拡大をやめさせるのに実効性のある行動をとるか疑問です。
イスラエル、パレスチナ間には領土確定、東エルサレムの帰属、入植地の扱い、難民の扱いなどの障害が満載で、未解決のまま放置すると、ふとしたきっかけで騒乱を招きかねません。
イラン核合意
対イランの焦点は「核合意」です。2015年7月にイランと米・英・仏・独・ロシア・中国の6カ国が結んだもので、イランが核開発を大幅に制限する見返りに、6カ国は経済制裁を段階的に解除するとしオンライン講演会日本の支援者の皆様、様々な困難の中で、明るい希望の光を何とか見出したいと願っている聖地の人々、特に子どもたちや若者たちのために祈って下さい。そして彼らが祖国に住み続け、未来を切り開いていくことができるよう、引き続き温かいご支援をお願いいたします。4ていました。ところがトランプ氏は18年5月に合意から一方的に離脱し、厳しい経済制裁を科したのです。イランは合意義務に一部反して濃縮ウランの濃度を引き上げ、経済制裁の解除を迫っています。バイデン政権は合意復帰の姿勢を示しているものの、イランが要求する制裁の全面解除には応じていません。
ガザ戦争
今年5月にイスラエルとイスラム組織ハマスが衝突し、パレスチナ側に256人、イスラエル側に13人の犠牲が出ました。ハマスによるロケット弾攻撃、イスラエルによるガザ空爆という交戦のきっかけは、東エルサレムにおけるパレスチナ人民家の接収問題やイスラム教聖地での衝突です。ガザを実効支配するハマスを、パレスチナ自治政府のアッバス議長はコントロールすることができず、ハマスを「テロ組織」に指定しているアメリカも交渉できず、結局エジプトの仲介で停戦が実現しました。
空爆で破壊されたガザの再建は難題です。長く続くイスラエルによる封鎖で人道危機やコロナ禍の拡大が深刻で、パレスチナ内部の対立を解消して自治政府を立て直すことや封鎖の解除が課題となります。
反ネタニヤフ同盟の連立
イスラエルの新政権は極右から中道・左派、アラブ政党まで含む8党から成る前代未聞の連立内閣で、首相になったのは極右のベネット氏(49)。ユダヤ民族至上主義の宗教的右翼で、西岸などは「神から約束された地」と言っています。政界入りした時は、ネタニヤフ氏の側近で、連立政権で国防相なども務めましたが、西岸併合を強硬に主張する立場からネタニヤフ首相と袂を分かちました。
新政権は「反ネタニヤフ」だけでまとまった連立と言え、極右政党「ヤミナ」(7議席)のベネット代表が前半2年間の首相を務めます。後半2年の首相は国会でネタニヤフ氏のリクード(30議席)に次ぐ中道の第2党「イェシュ・アティッド」(17議席)のラピッド党首が務める約束です。ラピッド氏は、宗教的制約に批判的な世俗派の元ニュースキャスター。大統領から組閣を指示されながら、ヤミナを連立に引き込むためベネット氏に最初の首相の座を譲ったのでした。
ベネット新首相は西岸の60%併合を主張し、「パレスチナ国家」に強く反対していることから、和平交渉の再開は不可能とみられています。ただし「二国家共存」案を支持する左派やアラブ政党も参加していますから、対立する課題は避けて当面は経済政策に重点を置くとしています。とはいえ、内部対立ですぐにも崩壊すると見られている内閣です。ネタニヤフ氏は汚職裁判の被告でありながら、国会の第1党の勢力を背景に倒閣、自身の復活を狙って動くことでしょう。
核合意協議は時間切れか
イランでは6月の大統領選で、保守強硬派のライシ師(60)が当選しました。核合意を結んだロウハニ大統領の国際協調路線に反対しています。
イランの大統領は最高指導者の下で行政を担う立場で、外交方針などは最高指導者に従うしかありません。最高指導者は終身制で、32年間その地位にいるハメネイ師は、イスラム革命の原則堅持を身上とするライシ師を後継者とみているようです。大統領選は、護憲評議会という組織が候補者をふるいにかける仕組みで、今回は600人近くの候補者が資格審査で7人に絞られました。国際協調派や、保守強硬派でもライシ師のライバルになりそうな人物は落とされ、辞退者も出て最後には4人の争いという、いわば出来レース。結果がわかっている選挙に有権者の関心は冷え、投票率は史上最低の49%でした。現体制への支持低下を反映するものでもあります。
ライシ師は、当選後の会見で、核合意について、アメリカが直ちに復帰し、対イラン制裁を全面解除するよう呼びかけました。核合意の立て直しを目指して、ウィーンで間接協議が進められてきました。イランの交渉団長は、8月の新政権誕生前に妥結したいとしていました。しかし、制裁の全面解除を要求するイランに対し、アメリカはウラン濃縮問題などで核合意の完全順守を求めるほか、核合意に関連しない制裁は残すとするなど、対立点が残っています。核協議は、時間切れとなり、反米強硬派のライシ次期政権へ引き継がれることになりました。妥結はいっそう困難になりそうです。もし、核合意が崩壊すればイランの核開発は無制限となり、中東の軍事的緊張が高まります。この地域にエネルギー資源を頼る日本にとっても「対岸の火事」とはいえず、平和的解決に向け、できる限りの外交努力をすべきだと思います。
質疑応答
Q:パレスチナ問題では根本的解決を目指すべきだが、イスラエルは何をゴールとしているのか。
A:自国民の安全確保が目標。戦争やテロの恐怖なく生活できること。パレスチナ人の抵抗を力で抑え込むのではきりがないとして、故ラビン首相が「二国家共存」を選択しました。友好善隣ではなく両民族の分離です。パレスチナ側のゴールは国家独立。これも、イスラエルと仲良くしようというわけではなく、独立独歩でいこうというものです。
Q:ガザに武器を供給しているのはエジプトでは?そのエジプトが停戦に動いたのは矛盾していないか。
A:ハマスを支援しているのは、ムスリム同胞団などのイスラム組織で、エジプトのシーシ政権はこれを弾圧しています。ただし、エジプトはムバラク政権時代からパレスチナとイスラエルの対話働きかけのルートを持っており、今回の動きとなったわけで、政府がハマスを支援しているわけではありません。
Q:アメリカがイランの核開発は問題視し、イスラエルの核は黙認しているのはなぜか。
A:アラブ諸国の中で孤立しているイスラエルの生存のためには、やむを得ないと認めているから。イランとはイスラム革命以来敵対しており、核兵器を持つことを強く警戒しています。国際政治に影響力を持つアメリカの考えが通っているということです。
Q:国連安保理が機能していない。
A:安保理は大国の利害が一致しない限り力を持てませんが、核合意の場合は主要6カ国が参加しているので、国連を中心にアメリカ、イランに働きかけることはできます。イランは制裁解除を望んでいますが、全面解除ができないなら段階的にいくしかないでしょう。
Q:パレスチナ問題で「二国家共存」による解決は現実的か。
A:では「一国家での解決」は可能でしょうか。出生率が高く多数派となるパレスチナ人を、ユダヤ人主導のイスラエル政府が支配することになると、かつての南アフリカのような「アパルトヘイト国家」になってしまいます。パレスチナ人が「二級市民」の処遇を受けるのを危惧します。しかし、イスラエルに極右首相が誕生したことで、「二国家共存」の実現が困難になっています。
出川展恒(のぶひさ)氏:1985年、NHK入局。91~92年テヘラン、94~98年エルサレム、2002~06年カイロの各支局長を経て06年7月から中東・アフリカ・イスラム地域担当の解説委員を務める。現在は解説主幹。