村上 宏一(当法人副理事長・元朝日新聞中東アフリカ総局長)
イスラエルは、イランが核兵器の開発を進めようとしているとして警戒し、最大の脅威と見ています。そのイランで、軍人や核開発に携わったとみられている人物が相次いで不審死を遂げ、イスラエルの関与が疑われています。イラン側は報復を宣言しており、中東の懸念材料である両国のにらみ合いは、見えないところで厳しさを増す恐れがあります。一方のイスラエルでは連立政権が崩壊し、選挙へ向かいます。対イラン政策がどうなるのか、気になるところです。
革命防衛隊要人らが不審死
イランでは最近、革命防衛隊員や軍関係の技術者らが不審死する事件が相次ぎ、イラン側はイスラエルを念頭に大統領が報復を口にしています。
首都テヘランの住宅街で5月22日、バイクに乗った2人組が革命防衛隊の大佐を射殺して逃亡しました。25日にはテヘラン郊外で軍事施設が無人機(ドローン)で攻撃され技師1人が死亡、軍関係者や技師らの不審死はその後の3週間で7人にのぼったと報じられています。短期間に集中したので目立ちましたが、実はイスラエルの諜報機関によるとみられる暗殺は何件も起きており、2010年以降、革命防衛隊の幹部や核開発の中枢を担う科学者・技術者7人が標的となったと言われています。
国軍とは別の軍事組織である革命防衛隊には、パレスチナのイスラム教原理主義組織ハマスやレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラなどを支援する部隊があります。いずれもイスラエルと敵対する組織で、イスラエルにとって革命防衛隊は、地域の安定を脅かし危険な存在として、その影響力を削ぐべきものというわけです。
もちろん、核兵器開発は最大の脅威で、それに携わる科学者や技師、さらには核兵器の運搬手段となる弾道ミサイルの開発に携わる者も抹殺の対象になります。イスラエル側は、自国の核兵器保有に関して肯定も否定もしないのと同様、暗殺という手段を公言はしないものの、否定もしません。
一方イラン側は、革命防衛隊の大佐殺害を受けてライシ大統領が、犯人を特定できないため名指しは避けつつ、暗にイスラエルの関与を指摘して「断固報復する」と述べました。イスラエル政府によると6月に、トルコのイスタンブールでイスラエル人を狙ったテロ未遂事件があり、複数のテロ計画を阻止したと発表しています。
核施設の空爆、過去に「実績」
イランの核開発を脅威と見るイスラエルが、核施設への空爆に踏み切るか?と取りざたされたことがあります。根拠のない話ではありません。イスラエルは1981年6月7日、イラクが建設中の原子力発電所を空爆し破壊した「実績」があるからです。イラクのフセイン政権(当時)は、石油資源が枯渇した時に備えて核エネルギーを開発しているとしていましたが、今のイランと同様、核兵器開発を疑われていました。82年7月に稼働予定とされたことに危機感を抱いたイスラエルは、F16戦闘機8機と護衛機でヨルダン、サウジアラビアの領空を侵犯してイラク領に侵入し、バグダード郊外のタムーズに建設中だった施設を空爆したのです。往復約2千キロの距離を給油なしで飛行し、防空網の死角をついて原子炉に爆弾を命中させた奇跡のような作戦で、世界を驚かせたものでした。
そんなイスラエルなら、イランに対してもやりかねないという観測も出るわけですが、防空網がさらに強まっている今、しかもイラクよりずっと遠いイランへの空爆は無謀に近いものです。しかも、そんな危険を冒さなくても、核施設の破壊工作は実施可能なようです。2021年4月、イラン中部ナタンズの核施設で爆発が起き、濃縮ウラン抽出に必要な遠心分離機への電源供給が止まったといいます。そのほか、コンピューターシステムに侵入して火災などを起こさせるサイバー攻撃も仕掛けているようです。
こうした暗殺、報復、破壊工作という物理的暗闘以外に外交的な努力というものはないのでしょうか。
核合意全否定の姿勢に変化?
イスラエルでは、おなじみの政権崩壊劇がまた始まりました。1年前の21年6月に発足した多党連立内閣は、かろうじて国会議席の過半数を押さえていましたが、政見の違いから2人の議員が連立を離脱。そんな状況下で、ヨルダン川西岸のユダヤ人入植者に特別な法的地位を与える法律の問題で紛糾し、6月30日に国会の解散が可決されました。11月1日に、19年以来3年半で5回目の総選挙が実施されることになります。解散可決を機に極右のベネット首相は辞職、選挙までの暫定首相に中道政党イェシュ・アティッドのラピッド党首が就任しました。
就任早々の7月5日、ラピッド首相はパリを訪れマクロン仏大統領と会談し、イラン核合意についてマクロン氏が18年に提案した「新合意」を再提案するよう求めました。核合意は15年に、イランと米英仏独中ロの6カ国などが結んだもので、イランの核開発が核兵器開発につながらないよう抑制し、代わりに対イラン経済制裁を緩和するのが骨子です。
ところが、米国のトランプ前大統領がこの合意から一方的に離脱して経済制裁を強化し、反発したイランが核兵器開発につながる高濃縮ウランの生産を早める事態になっています。ラピッド首相が求めた18年のマクロン提案は、既存の合意は破棄せず、イランに対し「第三者による核開発事業監視の永続化」「弾道ミサイルの開発制限」「シリアなど地域での軍事的役割の制限」という条件を加えるというもの。ラピッド首相は、マクロン案について「中東の核開発競争につながりかねない現在の外交的手詰まり状況を打開するのに必要なもの」との見方を示したと伝えられています。
15年核合意についてイスラエルは、イランの核兵器開発を防ぐどころか助長するものだとして反対し、ネタニヤフ元首相は当時の米大統領オバマ氏を無視して米議会で合意反対演説をしたほどです。ラピッド氏の対応は、核合意を全否定するのではなく、イランに対する足かせを強めるなら反対はしない、という方針転換にも見えます。なるほどマクロン案は、イランの核兵器開発・実用化と反イスラエル組織支援という、イスラエルが暗殺という手段に訴えてでも阻止しようとしている政策を規制の対象にしています。イラン側が容易に応じる提案ではありませんが、イスラエルの側でも、選挙で政権が変わったら、核合意に対する姿勢がどうなるのかわかりません。
米大統領ともイラン協議
一方、バイデン米大統領が7月13日のイスラエル訪問を皮切りに中東を歴訪しました。ラピッド首相との会談では、イラン問題が主題になったようです。共同記者会見でバイデン大統領は、イランの核兵器保有は許さないと強調しつつ、外交こそがイランにそうさせないための最良の道だと述べました。核合意への復帰を意味し、それに加えてイランの弾道ミサイル開発とテロ組織支援を阻止するというイスラエルの方針を支持するとも言っています。マクロン案と同じようにみえますが、ラピッド首相は会見の場で「外交ではイランを止められない。軍事的威嚇を見せつける必要がある」と述べています。マクロン仏大統領に求めたと言われているのとは異なるこの対応は、イスラエル国内向けのポーズなのでしょうか。
ところでバイデン大統領はパレスチナ自治政府のアッバス議長とも会談しましたが、和平については二国家共存案を支持することを表明したものの、西岸の入植地問題などには触れず、和平交渉の可能性につながる発表はありませんでした。