イスラエル人とパレスチナ人の衝突が頻繁に報じられるようになってきました。日本では目立った報道が少なく、大きな関心は呼んでいないように思われますが、10月だけで衝突により双方に60人以上の死者が出たほか、パレスチナ側ではイスラエル治安部隊の銃撃や催涙弾による負傷者が5千人を超えるともいわれています。
衝突が広がった大きなきっかけの一つは、9月27日にエルサレム旧市街の「ハラム・アッシャリフ」というイスラム教聖地で、パレスチナ人の若者らが投石、イスラエル警察がゴム弾などを発射した事件。この日はイスラム教の犠牲祭「イードアルアドハ」の最終日であると同時に、ユダヤ人の「スコート(仮庵の祭)」が夕方から始まる日でもありました。パレスチナ人の熱心なイスラム教徒の間には、スコート期間中に自分たちの聖地にユダヤ人たちが押しかけるといううわさが広がり、守りを固めようと、石を集め敷地内に泊まり込むなどの準備を始めていたといわれています。
ハラム・アッシャリフは、旧約聖書によるとアブラハムが息子イサクを神に捧げようとした場所とされ、またソロモン王が神殿を建てた所だというので、ユダヤ教徒にとっても聖地であり「神殿の丘」と呼んでいます。この両宗教に縁の深い場所に新たなユダヤ教の神殿を建てようと試みる過激な集団があり、その集団がユダヤ暦の新年(2015年は9月14日夕から)に神殿の丘を訪れようと呼びかけていたことが、パレスチナ側に憶測を呼んだのです。パレスチナ人とイスラエル治安部隊の衝突は、この新年入りの時から既に起きています。パレスチナ人が、聖地アルアクサ・モスクが一時封鎖されたことに反発し、加えてイスラム教犠牲祭の宗教心の高まりの中でさらに衝突が激しくなったのだと思われます。
このように宗教的にデリケートな場所で、しかも宗教的気運が盛り上がる時期での衝突だっただけに「聖地を巡る対立」に焦点が当てられますが、問題の背景には、和平にまったく進展が見られない中でパレスチナ人が将来に希望を見いだせない閉塞状況があります。
例えば、和平の妨げになるとしてパレスチナ側だけでなく、仲介役の欧米の政府なども批判しているヨルダン川西岸のユダヤ人入植地問題一つをとっても、イスラエル側は入植拡大をやめず、交渉再開の可能性を阻んでいます。入植地の存在はパレスチナ人の自治区間の往来を阻害するほか、日常の生活を脅かす例もあります。7月末のこと、西岸北部の自治区ナブルス近郊で、近くの入植地のユダヤ教過激派がパレスチナ人の民家に放火し、1歳の幼児が死亡、両親が負傷(後に死亡)する事件がありました。その報復かどうかわかりませんが、ナブルス近くで10月初めに別の入植地の夫婦が車で移動中に撃たれて死亡する事件も起きるなど、聖地以外でも暴力の応酬が続いています。
イスラエルの協同体キブツに40年ほど暮らし、イスラエル社会を見続けてきた日本人女性は、最近の情勢を次のように伝えてきました。「ご存知だと思いますが、この約1か月間(9月から10月にかけて)、毎日のようにテロ活動が続いています。イスラエル全域がテロの目標になっています。100年のユダヤ・アラブ紛争に解決のめどがないことに絶望したのでしょうか。組織的な闘争ではなく、イスラエルのアラブ人とパレスチナ人が個人のイニシアティブで、ナイフと石でテロ活動を始めました。13才から18才の男女がテロ活動に参加しているのです。シャバク(情報収集組織)、警察も軍隊も感知できない新型のテロ活動です。今週は、車によるひき殺しが加わりました。
ユダヤ人、イスラエルのアラブ人とパレスチナ人がお互いに警戒心と恐怖感を持って生活しています。銃の所有許可のある人は所持して外出するよう『おふれ』も出ているのです。最近のニュースによると、イスラエルのアラブ人の若者が『イスラム国』で訓練を積んで帰国しているとか。帰国した時点でこれらの若者は逮捕されているようですが、予断は許されません。」
伝え聞く情報の中で気になったのは、パレスチナ人らが絶望の果てに個人の意思でテロ活動に走っているのではないか、という見方がされている点です。1993年の自治協定でパレスチナ自治区が生まれ、一定の自治が実現したものの、前述のように入植地は拡大しても自治区は広がらず、若者の大半は和平交渉の進展など見たこともありません。武力で圧倒的に勝るイスラエルに封じ込められて流通が制約され、経済的な発展の見通しはなく、パレスチナ国家建設の端緒もつかめないままです。
(文 当団体理事 村上宏一/元朝日新聞エルサレム特派員、中東支局長)