村上 宏一(当法人副理事長・元朝日新聞中東アフリカ総局長)
ロシアのプーチン大統領が主導するウクライナ侵攻は、この原稿が読まれるころまでに急な展開が起きているのかどうか、見当がつきません。私たちは報道に見るロシア軍の非道さに怒りを募らせながらも、傍観者であることの無力さを感じてきました。
それでも、この歴史的な事件から何をくみ取り、何が問題なのかを考えるべきだと思います。
侵攻 受け止めに温度差
ウクライナでの戦争と直接のかかわりはなさそうに見えた中東から、イスラエルのベネット首相がモスクワを訪れてプーチン大統領と会談、というニュースが入ってきました。侵攻開始の2月24日から10日と経っていませんでした。なぜイスラエル首相が? 実はイスラエルは、旧ソ連から大量のロシア系ユダヤ人が移住し、そのつながりから互いに貿易依存度が高くなっています。ベネット首相としては、ロシアとの関係に傷をつけず、しかも国際的には停戦に向け仲介の労を執ろうとした、と印象付けようとしたのでしょう。ロシア軍による戦争犯罪行為が報じられるようになって、さすがに親ロシアと見られないよう気を付けてはいますが、世界的な対ロ経済制裁とは距離を置いています。
一方、侵攻について「受け止めに温度差」という記事が3月10日の朝日新聞に載りました。中東アフリカ総局長によるもので、「ツイッターでアラブ圏からの投稿を見ると、新たな紛争への悲しみや平和を願う声があふれる一方で、ロシアに激しく反発する米欧を皮肉るようなツイートも目立つ」と述べ、「パレスチナ自治区ガザへの爆撃で米欧はイスラエルの肩を持った」「ウクライナよりイエメンの内戦(注)の方が深刻だ」といった内容を紹介していました。ニューヨークの貿易センタービルなどに旅客機が突っ込んだ2001年9月11日の同時多発テロの時、同じ中東アフリカ総局長だった私(当コラムの筆者)は、「残酷なテロの被害者家族の怒りは当然としても、中東では同じような怒りが日常のこととして積み重ねられている」という趣旨のことを書きました。
もちろん、アメリカでのテロ被害は大したことではないという意味ではありません。ウクライナ侵攻をめぐる記事にも、ウクライナへの同情を低めようという意図はありません。中東をはじめほかの地域でも、抗しようのない暴力に痛めつけられている人々がいることを忘れないようにしたいという、かつての私と同じことを考えて書かれたものだろうと思い、引用しました。ヨーロッパでは、シリアなどからの難民を排除する動きが強まっています。一方でウクライナ難民は積極的に受け入れられ、住まいや仕事の面倒さえ見てもらえると報じられています。
地理的にも、文化的にも遠い中東とは違い、ヨーロッパから見ればウクライナに対しては親和性を感じているのは明らか。中東などの人々の間には、対応に差を生む二重基準への怨みがまた積み重なるだろうと、暗い気持ちになります。
事実曲げる「大本営発表」
ところで、筆者の友人がロシアの暴挙を止めるために、「ロシア以外に住んでいるロシア兵の母や妻がウクライナに向かい、人柱になってくれれば、プーチンと言えどもこれは攻撃出来ないのでは」と思い、彼女たちに呼びかける文章を用意して、伝える手段はないだろうかと尋ねてきました。
そんな女性たちをどうやって探し、文章を伝えるのかという現実論はともかく、「こんなことでもしないと」という思いは笑えません。ただし、プーチン大統領が動かしたロシア軍は病院に対する爆撃も躊躇していません。しかも、病院にいて攻撃された妊婦の映像が流されると、あれは女優による演技であって病人などいなかったとして、非軍事施設への攻撃ではなかったと強弁する始末です。ロシア女性たちのデモを蹴散らしても、デモはウクライナ側の偽装工作だなどと言って平気でいるかもしれません。
そもそも、兵士の家族たちが反戦に立ち上がろうとする環境を作らせまいとするのが、米国のトランプ前大統領の得意技「フェイクニュース」宣伝と同様の情報作戦です。欧米の流すニュース・映像は、ロシアの正当な対ウクライナ「特殊作戦」を侵略戦争であるかのように見せる謀略だというわけです。真実の報道を困難にさせる本物の(?)フェイクニュースは、民主主義の大敵です。さらに、プーチン政権は外国から事実を伝える情報が入らないように手を尽くすほか、ウクライナ侵攻に異議を唱える市民が拘束されたり、政権批判につながる報道の自由が封じられたりしています。
日本でも戦時中、大々的な戦果を伝えていた「大本営発表」が国民を欺くものであった歴史がありますが、過去の話だとすませてはいられません。
2019年の参議院選挙の際、札幌市で街頭演説していた安倍首相(当時)にヤジを飛ばした男性が、警察官によって後方へ連れ出されました。その後も、閣僚の演説に男性が抗議の声を上げただけで、警察官に移動させられる事態が起きました。札幌の強制排除を違法と訴えた裁判で、札幌地裁はこの3月、この訴えを認める判決を出しました。ロシアとは違って司法が機能を果たしたと言えます。ただし、違法な規制も、それを正そうとする動きがなければそのまま通ってしまうことを、忘れないようにしないといけない世の中です。
無法者を利する核抑止論
ロシアのウクライナ侵攻開始から間もない2月27日、安倍元首相がテレビ番組で、米国の核兵器を国内に配備し共同運用する「核共有」について議論すべきだと発言しました。「議論を」と言ったものであって、「核配備を」と主張したわけではないものの、歴代内閣が堅持してきた「持たず、つくらず、持ち込ませず」という非核三原則への挑戦です。ウクライナ侵攻という事態が日本国民の安全保障意識を高め、核持ち込み議論に追い風になると見たからでしょう。核廃絶を唱えるべきなのに核の効果に頼ろうという姿勢がまず問題ですが、そもそも核の抑止力に頼れるのかを問うべきでしょう。
核を配備すれば、核の報復を恐れて誰も攻撃してこない、というのが抑止論です。しかし、プーチン大統領が核使用も躊躇しない姿勢を見せている事態に直面して、それが虚構であることがはっきりしました。米軍も北大西洋条約機構(NATO)軍も、ウクライナ支援のための武器供与などはしても、ロシアとの本格的な戦争になるのを恐れて、武力介入には慎重な姿勢でいます。まして核戦争の可能性があるとなると、うっかり手出しはできない。核兵器は、無法者が「使うぞ、使うぞ」と脅してくるのに対して、「それならこちらも」と、安易に対抗措置として使えるものではないということです。つまり核の抑止効果は、核を持つ侵略者が他国に反撃を躊躇させるという意味で働くものであり、平和を望む国々にとっては効果のないものです。
米軍統合参謀本部議長を務め、米国務長官にもなった故パウエル氏は生前、朝日新聞のインタビュー(2013年7月10日付)で、かねて唱えていた核兵器不要論の理由について「極めてむごい兵器だからだ」と明言し、「まともなリーダーならば、核兵器を使用するという最後の一線を踏み越えたいとは決して思わない。使わないのであれば基本的には無用だ」と強調しました。
まともなリーダーになりたい人々には、かみしめてほしい言葉です。
注 イエメン内戦:アラビア半島の南端にあるイエメンでは2015年以降、イスラム教シーア派の武装組織「フーシ派」と暫定政権との間で内戦が続き、約2900万の人口のうち約10万人が犠牲となり、300万人以上が難民となっているという。