矢加部 真怜(NGO職員・2014年スタディ・ツアー参加者)
半年前に就職した国際協力NGOの仕事で、エルサレムに赴任して以来、ガザ地区を訪れたのはこれで3回目。今回の目的は、昨年の空爆で家が全壊もしくは半壊したため、家族が生計手段を失った若者を対象とした「短期就労支援事業」の視察がメインでした。
「ガザには素晴らしい能力と志を持った若者が沢山いるのに、封鎖による高い失業率やイスラエル軍の攻撃による各産業へのダメージで、持てる力を発揮できない若者が多くいる」というのは、同業者の方からよく聞く話ではありましたが、今回はそれをまざまざと見せつけられました。
地域コミュニティが運営する医療機関では、薬学部を卒業するも今まで職に就けなかったという方が、プロの薬剤師として窓口の患者に薬の説明をしていました。環境保全活動を行っている団体では、通訳の仕事をあてがわれた方が私よりずっと流ちょうな英語で、「今後のキャリアのためにももう少し事業を延長してほしい」と訴えてきました。聴覚障害を持つ児童の福祉施設で授業をしていた方は、通常は覚えるのに1か月かかる手話の語彙を2週間で覚えて、誰の手も借りずに一人で授業を回していました。
特に忘れられないのは、事務担当を任命された20代の女性の話です。彼女は山積みの書類に囲まれて忙しそうにしていたのに、笑顔で応対してくれました。
事務室を出ると、同僚が私に耳打ちしました。「あの子は丁度一年前の空爆で家が全壊し、家族を10人以上失くし、本人も瓦礫の中に24時間いたのよ。今は元気そうに見えるけど、2週間前はまさに空爆から一年の節目というタイミングもあって、精神的にかなり不安定な状態で仕事を始めたの。」私は何も言葉を返すことができませんでした。
各団体の人事担当者によると、このプログラムに参加した若者は皆仕事の覚えが早く、意欲に溢れ、受け入れ団体としても貴重な戦力になっているとのことでした。
経済大国・日本で就職にも転職にも失敗を重ねた私が「援助関係者」として彼ら・彼女らと相対するのは気恥ずかしく感じる瞬間もあります。
「国際協力は、助けているのではなく、実は助けられているんだ」というのは、勘違いした「意識高い系」の学生が言いそうな文句ですが、これはある意味真理なのかもしれません。
我々が「援助」しようとしている彼らは本当にタフで行動力も能力もあって、当然ながら外国人である我々より現地のコンテクストを遥かに理解しているので、物事の動かし方をよく分かっています。
彼らがたまたま隣国や指導者や時代のめぐり合わせが悪かったために課題が山ほど生まれて、そこに我々がお邪魔して、働かせていただいている、それぐらいの感覚がしっくりきます。
私たちが出来る事と言えば、せいぜい現地の課題を事実ベースでドナーに提示し、限りのある人道支援の予算から1円でも多い資金を確保することでしょうか。(と、言うのは簡単ですが一連のプロセスは、いちいちこの上なく面倒くさいし、時には他団体との競争も避けて通れません。)
人道支援は「焼け石に水」じゃないかと言われることもあります。正直、否定できません。
支援が「その場しのぎ」にならないよう、いかに持続性を持たせるかは、毎度知恵を絞るところではありますが、ことガザへの支援に関しては、イスラエルが封鎖を解除して空爆や漁師への銃撃・農場破壊、民間人への無差別攻撃等をやめ、その上でハマスもロケット弾による報復をやめない限り、封鎖開始以来15年間続く「慢性的な緊急状態」はいつまでも続くでしょう。我々が出来ることは、本当に限られています。
それでも、「日本人は、規模は小さくても本当に我々に必要なことを、同じ目線に立って支援してくれる。」と同僚や裨益者に声をかけてもらえると、救われた気になります。彼らの信頼・期待を裏切るようなことはできない、そう自分に言い聞かせながら、出来る事を積み重ねていきます。