大槌町でのボランティア活動(7月27日~8月3日)
7月27日早朝、9名のイスラエル・パレスチナの若者が成田空港に到着し、長旅にもかかわらず、その日のうちに岩手県大槌町のカリタス大槌ベース入りした。
翌日、視察とビデオにより、地震と津波の被害を学んだ。若者たちは被害の大きさに驚き、人々の苦しみの深さに涙した。そして復興が遅々として進まないために、今も困難の中で生活している人々を目の当たりにした。
29日からボランティア活動開始。今回もカリタス大槌ベースのおかげで、様々な現地の団体、個人の支援活動に参加させていただいた。
子ども夢ハウスおおつち
山口県の社会福祉法人が運営する子どもたちのための家。朝から夕方まで自由に来て、宿題や勉強をしたり、友達と遊んだりできる場所だ。多くの子どもが津波で親族や家を失くし、仮設住宅に暮らしている。また家庭の事情やいじめ・不登校などで傷ついている子どもも。一つの班はここに3日間通い、子どもたちの見守りをしたり、一緒に遊んだりした。慣れない《ガイジン》に最初はこわごわ接した子どもたちも、ゲームやサッカーをしているうちにすぐ打ち解けて、みんなが明るい笑い声。仲良くなって、最終日は名残り惜しいお別れとなった。
荒れ果てた畑の手入れ
元消防団員のSさんの依頼により、荒れた畑の草取りと収穫もした。Sさんは現在、被災者の中で、アルコール依存症や引きこもりで苦しんでいる一人暮らしのお年寄りのために、畑仕事やお茶会、手作り品を売るアンテナショップなどを交流の場として提供している団体の前会長だ。昼休みにご自身の被災体験も話してくださった。親戚や知人も含め沢山の人が目の前で流されていくのを見ても何もできかった悔しさと無力感……。ほんとうに胸に響く話し方だった。そして言われた。「あなたたちも紛争で苦しんでいるのは知っているが、その苦しみは人間同士が作っているのだから、話し合えば何とか解決できるのではないか……」
収穫したばかりのジャガイモ、キュウリ、トマトなどをいただたが、そのおいしさは忘れられない。
仮設住宅訪問
大槌町第20仮設の訪問は、今年で3回目になる。何人か懐かしいお顔も見え、再会を喜んだ。3回目となる長野県善光寺玄證院の福島貴和師の訪問も、お年寄りたちにはとても喜ばれた。作りたてのイスラエル・パレスチナ料理を提供し、喜んでいただいた。
コラボスクール
あるNPO主催の放課後学校で、高校生・中学生たちと交流。英語による大槌町ガイドツアーをしてもらい、ワークショップでコミュニケーション。最後はスイカ割りで、楽しい時間を過ごした。初めて外国人と英会話ができた中学生たちはとても嬉しそうで、英語の勉強を「もっとがんばる!」とのこと。よいきっかけと刺激になったようだ。
おおつちありがとうロックフェスティバル
地元の実行委員会主催のフェスティバルでは、「中村子ども太鼓」に参加させていただいた。3カ国の若者が、法被(はっぴ)などの伝統衣装で、女性や子どもたちともに和太鼓と踊りに加わり、大きな注目を集めた。また、テントを貸してもらい、会場内にイスラエル・パレスチナの文化紹介と交流の場を設け、「イスラエル・パレスチナ直送」のドライフルーツやお土産品販売も行った。
会場設営は炎天下、撤収は大雨の中。汗と泥にまみれて一生懸命手伝い、たいへん喜ばれた。
共同生活
畳の部屋で布団を敷きつめての雑魚寝初体験に最初は驚いたが、慣れてくると快適に。食事、掃除、洗濯など当番を作って協力した。お互いの疲れや体調をいたわり合い、協力し合う姿には、国籍や宗教の違いは感じられなかった。
8月13日、すべてのボランティア活動を終えて、夜行バスで東京へ。翌日は待ちに待ったフリータイム。スカイツリーや浅草界隈で観光した。
JICA東京国際センターでのセミナー(8月5日~9日)
大槌町での活動を振り返り、紛争体験の分かち合い、意見が対立する時の解決方法を学ぶ「国連ゲーム」など、その他様々な活動や対話を通じて、「平和の架け橋」を築くよう、みんなで努力した。
国籍も宗教も年齢も異なるメンバーで、いつもながら些細なトラブルは起きるものだ。被災地の奉仕活動では、結束はそれほど難しくない。けれども、東京では互いに正面から向き合うことになるので、性格や考え方の違いが表面化する。紆余曲折ののち、それでも彼らなりの「平和宣言」ができあがり、全員が署名した。(11月に発表する「プロジェクト報告書」に掲載予定です)
わずか2週間のプロジェクトは、「平和の架け橋」の土台を築くためのスタートラインにすぎない。ここで、若者たちは対立や衝突を通して自分自身を見つめ、相手を理解しようと努めることで、平和を築くには、どれほど和解と相互理解、感謝と尊敬が大切かを学んだ。「どんなに難しくても《平和共存》は可能だ」という体験が、これからそれぞれの人生で、「平和のために働く」指針になってくれれば幸いである。
(文 井上 弘子)