フランスの指揮者で作曲家のピエール・ブーレーズ氏が1月5日、死去しました(享年90歳)。指揮者として名前を知っているだけでしたが、イスラエル人やパレスチナ人などの若い演奏者たちと音楽活動をしていたことを知る機会を得ました。エジプトで旅行業に携わる夫と共に、長くカイロに暮らしてきた方の情報によるものです。その方、中野眞由美さんは、現在では現地と日本を行き来して時折、NHKのラジオ深夜放送でエジプトの暮らしや文化などについてリポートをしています。
中野さんの情報によると、ブーレーズ氏は80歳を過ぎて、パレスチナ人、イスラエル人、エジプト人やその他のアラブ諸国の若者奏者たちと音楽の造形を巡って、何度もワークショップを経ながら緻密な音楽世界を築いてきたそうです。皮切りとなったのは2007年夏のザルツブルク音楽祭で、やはり指揮者のバレンボイム氏と共にパレスチナ人、イスラエル人、エジプト人などを対象に開いた「聴くことの学校」というワークショップです。ここにはウエスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団の演奏家たちも加わっていました。
この管弦楽団は、バレンボイム氏とパレスチナ系文学者の故エドワード・サイード氏が設立したもので、イスラエル、パレスチナ、アラブ諸国出身の若い音楽家たちを団員とし、度々ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区で演奏会を催していることで知られます。パレスチナ問題の解決は軍事的な手段ではなく、民族間の対話によるしかない、という考えのもと、文化を通じてお互いを知る機会を作ろうとしているのです。
1993年のオスロ合意でパレスチナ自治への道が開かれる以前の占領下のパレスチナ地区では、東洋人の筆者が歩いていると行く先々で、若者や小さな男の子たちが「KARATE」と言いながら寄ってきて、空手のしぐさをしたものです。イスラエル兵に屈辱的な扱いを受けても、銃で武装した相手に抵抗しようもない現実の中、当時はやっていた香港映画でブルース・リー演じる主人公が素手で敵をやっつける様子に、「自分たちもあのようにやれたら」と憧れていたのでしょう。
自治政府ができた時、イスラエル政府は自治政府警察に武器供与する協定を結びました。その狙いは、イスラエルとの和平に応じた故アラファト議長率いるパレスチナ側主流派に、イスラエルとの共存を認めない反対派を武力で抑え込ませることでした。それはともかく、おおっぴらに銃を手に入れられるようになったパレスチナ指導部は、軍事的にイスラエルに圧力をかけられると勘違いしてしまったのではないかと思われます。交渉による自治権の拡大が進まないことへの反発が強まる中、2000年9月に始まったパレスチナ人による2度目の大規模な民衆蜂起「インティファーダ」では、1度目のインティファーダ(1987年末~1993年)が主に投石でイスラエル軍に立ち向かったのに対し、銃などの武器が使われました。しかし、軍事的に対抗するといっても、パレスチナ側が銃とせいぜいロケット弾を使うのに対し、イスラエル側は戦車、大砲、戦闘機からのミサイルまで使うのですから、相手になりません。力で歯向かってくるなら何倍もの力で叩き潰し、力の差を思い知らせる、というのがイスラエル側の戦略です。まともな軍事的手段ではどうにもならないのです。
昔から、圧倒的な武力を背にした権力者に支配される側が、その状況を軍事的に切り開こうとすると、非正規の武力=テロに走ったものです。それは激しい反撃を招き、さらに強い抑圧をもたらします。一方、支配する側にしても、絶え間ない警戒と緊張で社会の健全さは失われていきます。そんなことを考えているとき、テレビで南アフリカ共和国が黒人差別のアパルトヘイト政策を廃止した時の白人最後の大統領をめぐるドキュメンタリー番組を見ました。南アの白人政権による支配は強固で、黒人の武力闘争は犠牲を増やすばかりでした。とはいえ、アパルトヘイトへの国際的な批判が高まり、経済制裁も強まる中で国家経営は行き詰まり、差別廃止に踏み切らざるを得なくなったわけです。
番組の中で印象に残ったのは、最後の方で紹介された黒人の若者たちのことです。アパルトヘイト廃止後に生まれた世代を「bornfree世代」と呼ぶそうですが、彼らは白人過激派による虐殺などの過去に、そうこだわらないというのです。白人支配下の過酷な差別も、それを経験しない状況が続くと上の世代の恨みが継承されなくなっているようなのです。
イスラエル人とパレスチナ人の間で憎しみや恨みが子や孫の世代に引き継がれないためには、殺し合いや屈辱の光景がない状況が何十年か続く必要があると思うことが、よくあります。そうすれば、たとえパレスチナ人の老人がイスラエル兵に暴行を受けたとか、イスラエルの刑務所に入れられたとかの苦い思い出を話しても、目の前にそのような現実を見ない若者たちは深刻な思いで聞かないでしょう。南アで実際にそのような状況が見られるという報道は、わずかながら希望を持たせてくれます。
ただし現在のイスラエル・パレスチナ情勢は、少年・少女たちがイスラエル人をナイフで襲う事件が相次ぐなど暗いものです。これでは、イスラエル側の治安重視の意識はますます厚く固いものになり、対話の機運が入り込む隙間がなくなります。「聖地の子どもを支える会」の目指す交流も、これまでにも増して難しくなるでしょう。そんな中、ブーレーズ氏やバレンボイム氏のような著名人が道をつけ、国際的に評価される文化交流の試みは、同じ目標を掲げる小さなNPO活動にとって、行く先を照らしてくれる灯のようです。
(文 当団体理事 村上宏一/元朝日新聞エルサレム特派員、中東支局長)