▲写真:ヨルダンの首都アンマン(街は丘の上に立っている)
支援者の皆様、こんにちは。私は現在、青年海外協力隊の一員としてパレスチナの隣国ヨルダンに派遣されています。任期は2年、パレスチナ難民キャンプで知的障害児の指導をすることになっています。
ヨルダンといってもあまりイメージがわかないかもしれませんので、まずヨルダンにおけるパレスチナ人について少し説明したいと思います。ヨルダン国の総人口は950万人ですが、パレスチナ系住民はその約3分の2を占めています。「パレスチナ系住民」とは、難民であることを選択し続けている住民と、先祖や自分はパレスチナ出身でもヨルダン国籍を選択している住民を指します。私のアラビア語の先生もパレスチナ系の方です。両親がパレスチナ人だとか。私が「パレスチナに行ったことがある」と言うと、多くの方が「実は自分もパレスチナ出身なんだ」と誇らしげに話してくれます。パレスチナ系ではないヨルダン人でさえ、パレスチナを誇りに思っている方が多いという印象を受けます。
また、世界中のパレスチナ難民数は約549万人と言われていますが、ヨルダンのパレスチナ難民の数は218万人と世界最多です。ヨルダン国内には13のパレスチナ難民キャンプがあり、どれも1950年~1970年頃に作られた古いものばかりです。しかし、依然として難民キャンプ内の就学率はキャンプ外よりも低く、特に女性は文化的な習慣から働けず、十分な収入を得ることができない場合もあります。
私は2012年2月に「聖地のこどもを支える会」のスタディツアーに参加しました。その結果、自分の専門性を活かしてイスラエル、パレスチナの和平に貢献するための一歩を踏み出したいと青年海外協力隊に応募をしたのです。スタディツアーに参加した動機は、もともと平和構築に興味があったこと、現地での視察が何かのヒントになるのではと思ったことでした。イスラエル、パレスチナを訪れて印象に残ったことは、両国それぞれに痛みを感じていること、そして、たとえ相手を赦すことは難しくても、相手を知り、関係を築こうとしている人々がいることでした。スタディツアーではそれぞれの国でホームステイをし、イスラエルではお茶を飲みながら、パレスチナでは水タバコを吸いながら、家族の話を聞きました。衝撃的だったのは、自分の親族や隣人の誰かが戦闘やテロの犠牲になった経験をみんな持っていたことです。問題のあまりの大きさに当時は、これでは解決方法どころか、希望も見出せないと感じたものです。しかし、現地で、互いの痛みを理解し、新しい関係を築こうとしているNGOや学校の活動を見学したおかげで、市民の力に希望を見出すことができました。
今私は、価値観が異なる人々が多様性を理解し、互いに受け入れ合える社会を作るにはどうすればよいだろうと考えています。私としては、世界中でまだまだ理解が進んでいない「障害者」の支援を通じて多様性への理解に寄与することにしました。
大学卒業後3年半、経験を積むために日本の障害児・者施設で働いたあと、パレスチナ難民キャンプで障害児の支援ができる青年海外協力隊に応募をしたのです。
私が配属される障害児施設での仕事はすべてアラビア語ヨルダン方言で行われるため、現在は首都アンマンでヨルダン方言の勉強中です。アラビア語が多少わかるようになって、ホームステイでお世話になった家族や友人たちとの連絡もこれまで以上に増えました。任地への配属後は、私なりに少しでも両国の平和に資するために力一杯働きたいと思っています。
(文 H.I./2012年スタディ・ツアー参加者)