内藤 徹(当法人理事 元JICA職員、「仕事を辞めてエルサレムで主夫してきた」著者)
2年ほど前からこの団体に関わり始めた僕にとっては、初めての「平和の架け橋プロジェクト」だ。
僕はコロナが広がる前、2018年から2020年までエルサレムに住んでいた。エルサレムはイスラエルとパレスチナの境目にある都市だ。東側にはパレスチナ人が住んでいるが、そこはイスラエルに占領されていて、イスラエル人とパレスチナ人が、分離壁もなく幹線道路を挟んで、お互いが別れて住んでいる。
彼らは、普段から戦っている訳ではない。エルサレムではお互いが抑制しているともいえるし、イスラエルの治安当局がコントロールしているともいえる。そもそも、彼らはお互いが話し合うことも少ないし、西と東で行き来も少なく、友達になることもほとんどない。いずれにせよ表向きは平穏なように暮らしている。
一方、パレスチナ自治区と呼ばれるヨルダン川西岸やガザに住んでいるパレスチナ人は、分離壁に囲まれて住んでいて、イスラエル人と出会うこともない。直接会うのは、兵士くらいだ。だから西岸やガザに住むパレスチナ人にとって、イスラエル人=怖い兵士というイメージだ。
そしてイスラエル人にとっても、分離壁の向こうには行くことができないし、怖くて行きたくもない。なぜなら、そこは「テロリスト」が住むところだからだ。多くのイスラエル人にとって、パレスチナ人=怖いテロリストというイメージだ。
お互いが怖いと思っているパレスチナ人とイスラエル人の若者が、日本にやってくる。すでに来る予定の若者の数人とオンラインで話をする機会があった。どうも、このプロジェクトに来るイスラエル人は、典型的なイスラエル人のイメージとは異なり、パレスチナに対して友好的な人が多い印象だ。一方パレスチナ人の方も、イスラエル人と会って話をしてみたい、と心を開いている人が多いようだ。一部の人と少し話をしただけだから、よく分からないけれど、そんな風に僕には見えた。
さて、そんな彼らが8月にやってきて、最初に行くのが広島だ。実は僕は広島に住んでいた。広島は、平和や原爆が非常に身近で大事なテーマであり、また、世界の人々にとって特別な場所であることを、常々感じていた。その時はJICAという国際協力を行う日本政府の組織に勤めていた。当時関わった仕事で、印象的な出来事が2つある。1つは、2014年にフィリピンのミンダナオ和平の会合が広島で開かれ、故アキノ元大統領が来日した時のことだ。アキノ氏は、対立する政府側とモロ・イスラム解放戦線側の関係者との理解を深める国際会議のために急きょ来日することになった。その時の演説で「広島は、かつて戦った者たちが紛争をやめ、友好的に話し合うのにふさわしい地だ」と語ったのが印象的だった。
もう一つ印象的な仕事は、同じ年に行なったルワンダの虐殺からのサバイバーと、広島の被爆生存者とオンラインでつないだイベントのことだ。1994年、100日間で80万人が殺されたと言われるルワンダ大虐殺のサバイバーは、「70年以上生き延びた広島の被爆者の存在は、人生の先輩として希望だ」と語った。何か2人だけで通じ合う様子が伝わってきたのがとても印象的だった。
広島は、人類の戦いがもたらす悲しみに触れ、自分にできることを考えるのにふさわしい土地だ。その意味では、イスラエルとパレスチナの若者が、自らの地を離れ、日本人とともに、お互いを理解するのにふさわしい場である。
今年日本に来る若者が、どのようなことを語り、感じ、日本での滞在を過ごすのか。楽しみでもあり、興味深い。そして、彼らが日本に来られるのも、多くの方々が当法人の活動を支持し、寄付をいただいているおかげでもある。あらためて感謝申し上げたい。