▲写真:ベツレヘム大学の学生との交流
イスラエル・パレスチナを巡ったこのスタディー・ツアーで私が得た経験は数知れません。現地のイスラエル人やパレスチナ人と心を通わせたこと、紛争下の様々な現実を直視すること、どれも他では得られないような経験でした。しかし、私にとって、このツアーで総じて大きな意味を持っていたように思われるのは、「平和とはなにか」という問いについて深く掘り下げて考えられたことでした。
さて、このツアーでは、平和について考えるとともに、イスラエルとパレスチナの紛争に対して、第三者の私たちがどのように関わればよいのか、というのも中心的な問題でした。実際、イスラエルの若者と交流するの中で、彼ら彼女らが日本に対して持っている認識としても「紛争のない国」というもので、私たち日本人がイスラエル・パレスチナ人の置かれている境遇とはどこまでも異なるのです。他方、ツアーの中で「紛争 (conflict)」といっても非常に多義的な言葉であると気付かされます。とりわけ、印象的なのは死海でイスラエル・パレスチナの若者を交えて行ったミーティングでした。そこでは、各参加者は、日々抱える様々な葛藤を打ち明けるのですが、そこでは、私たち皆が抱える家族・友人との行き違いから武力紛争まで、実に様々な「コンフリクト (conflict)」の様相がうかがえました。
しかし、様々な文脈で用いられる「紛争」という言葉ではあるものの、共通しているように思われたのは、「当事者間に認識の相違があり、また相互的なコミュニケーションが欠けている」ことでした。イスラエルとパレスチナ双方の関係改善においても、ツアーの中で、私は両者同士の関わりがほとんどないことを感じました。イスラエルの若者は、基本的にパレスチナ自治区を隔てる分離壁に行かないのはもちろん、壁の向こう側の状況に対して関心を持つことはあまりなかったように思えます。また、パレスチナ人が紛争に対してある種の諦念や無関心を示すのことも少なくありませんでした。両者はどうしようもなく隔絶されているのです。このような両者の現状を踏まえると、第三者の私たちの関わり方が思い浮かんできました。それはイスラエル・パレスチナの認識の相違を縮めるコミュニケーションを促進することであり、それが「紛争」を広い意味から突き詰めて考えた時に浮かび上がる私たちのイスラエル・パレスチナ紛争に対する向き合い方のように思えました。
ところが、イスラエルとパレスチナの相互的なコミュニケーションが「紛争」解決の鍵になるのではないかと思う一方で、「紛争」の解消はそれが直ちに平和を意味するものではないことも痛感しました。エルサレムで聞いた話では、物価の急激な上昇により住む場所を追いやられる人々(特に、エルサレムのユダヤ教徒とムスリムに挟まれ、マイノリティーとして揺れ動くキリスト教徒)や分離壁によって様々な経済的困難を抱えた人々がいるということでした。また、ベツレヘムでは難民キャンプや障害者施設で自力では生きていくのが難しくなった若者たちに、また、孤児院では名誉殺人を免れた子供達に出会うなど、今まさにハンデキャップや社会的孤立といった困難を抱えた人々の現状を目の当たりにしました。紛争はイスラエルとパレスチナ間という大きな枠組みで行なっているのかもしれませんが、国家や社会から疎外された「個人」の受苦状態も看過できない問題です。こうした現実を踏まえると、紛争解決のためにイスラエル・パレスチナ間の相互的なコミュニケーションを促進するとともに、困難な状況にある人々のために社会的包摂をいかに行うかというのも「平和」を実現する上で喫緊の課題だと感じました。
ここまで、述べてきたようにこのスタディー・ツアーでは、「平和」について改めて考える良い機会になりました。「平和とはなにか」というと今まで幾度となく繰り返されたが故に、もはや手垢にまみれた「ありきたり」な問いかけだと思う方もいるかもしれません。しかし、実際に、今回、自身の肌身で実情を知ることで、自分なりに「平和」というものを捉え直すことできたと思います。そういった意味で、現地の人々が「語る」ものから得られたものは非常に多かったです。
(文 東條 慎之佑/
2017年スタディー・ツアー参加者、大学4年生)