夏の『平和の架け橋 in ヒロシマ』プロジェクト支援の一環であるNHK解説委員・出川展恒氏による講演が、今年も7月2日、東京都武蔵野市のカトリック吉祥寺教会で開かれました。過激派組織「イスラム国(IS)」のイラクの拠点モスル陥落が近いとみられ、事態の急変に備えて泊まり込みが続くなど忙しい中に来ていただきました。
講演の要旨は以下の通りです。
パレスチナ問題
中東和平の現状
1993年のイスラエル、パレスチナの歴史的な自治合意で期待された和平合意は、交渉も中断したままで報じられることもほとんどなくなっています。パレスチナ問題が解決しないと、中東の安定は来ません。アラブ諸国にとって同胞のパレスチナ人が占領下にある限り、イスラエルとの和解はないし、イランにとってもイスラムの聖地がイスラエルに占拠されていることは許されない、などの理由からです。
1967年の通称「六日戦争」でイスラエルに占領されたヨルダン川西岸とガザにパレスチナ自治区を設け、和平交渉を進めるとしたのが暫定自治合意、いわゆるオスロ合意です。その最終目標はイスラエルとパレスチナの「二国家共存」です。しかし交渉は相互不信や暴力でしばしば中断。1995年11月、和平実現に積極的だったラビン首相が、極右のユダヤ人に暗殺されたことで和平の流れは変わりました。
アメリカのオバマ前大統領は中東和平を重視し、2010年9月にイスラエルのネタニヤフー首相、パレスチナ自治政府のアッバス議長と会談して交渉を再開させましたが、交渉の機運は1カ月ともちませんでした。西岸への入植活動の凍結をイスラエル側が受け入れなかったからです。
占領地での入植は国際法違反であるだけでなく、将来のパレスチナ国家の領土が侵食されることです。アッバス議長は国際世論にアピールし、交渉再開への切り札のつもりで国連への加盟を申請しました。しかし、イスラエル寄りの政策を崩さないアメリカが安保理で拒否権を行使。それではとアッバス議長は2012年、拒否権が通用しない国連総会に「オブザーバー国家」としての承認を申請、認められました。日本を含む138カ国が賛成、イスラエル、アメリカなど9カ国が反対、棄権41でした。賛成国の大半がパレスチナ国家を承認してはいるものの、まとまった領土を持たない名ばかりの国家です。
トランプ氏の中東政策
アメリカの新大統領トランプ氏は就任間もない今年2月、ネタニヤフー首相との会談で「二国家」にこだわらない姿勢を示しました。これにはアッバス議長が「和平実現は不可能」と反発、グテーレス国連総長も「二国家以外の解決策は考えられない」と批判しました。閣内に極右勢力を抱えるネタニヤフー首相は、パレスチナが完全な主権国家となることに反対で、トランプ発言を「イスラエルに理解を示すもの」と歓迎しています。
入植問題ではトランプ氏は「少々控えてほしい」と発言してはいますが、基本的には反対していません。また、三宗教の聖地が混在する東エルサレムの地位が確定していないため、全エルサレムを首都とするイスラエルの主張は国際的に受け入れられていないにもかかわらず、米大使館のエルサレム移転に言及しています(現在はテルアビブに存在)。
このようにイスラエル一辺倒がトランプ政権の基本姿勢でありながら、ネタニヤフー、アッバス両首脳と和平合意実現に努力したいとしています。しかし具体的なプランは示されず、明確な和平戦略があるのかわかりません。
和平プロセスをどう動かすか
気になる資料があります。イスラエルでの最近の世論調査で、国民の60%以上が「西岸は占領地だと思っていない」と答えたそうです。1967年以後に生まれた「戦後」世代は、イスラエルが戦争で占領したことを教えられていない中で、西岸は元々イスラエルの土地だったと思っているわけです。しかもパレスチナとの境界に建てられた壁で確かにテロが激減し安全になっているため、「このままでいいじゃないか」との考え方が広がっており、和平の機運が失われていっているのです。
では、和平プロセスを動かすにはどうしたらいいのか。まず、暴力を食い止めねばなりません。二国家共存論の再生も必要です。それに、オスロ合意以外の和平へ向けた枠組が必要です。それができるまでは入植地不拡大などで、現状を凍結しなければなりません。
二国家共存でないとどうなるでしょう。パレスチナを占領下に置き続けるのか、あるいはガザのように西岸も完全に封鎖し巨大な刑務所のようにするのか、それともイスラエルに統合してしまうのか。その場合、ユダヤ人と同等の市民権は保証されず、パレスチナ人は二級市民として、かつての南アフリカのようなアパルトヘイト状態になるでしょう。
和平プロセスが再び動き出すためには、両民族の市民レベルでの信頼醸成が大切です。その意味で「聖地のこどもを支える会」の活動は、気が遠くなるほど遠い道のりではあっても、意義あるものです。
日本にできることは?
二国家共存へ向けた新しい枠組を主張し、入植を阻止することが日本の役割だと思います。また、パレスチナを国家並みに扱う一方で、西岸とガザに分断された状況の解消を働きかけるべきです。ガザを実効支配しているイスラム原理主義組織ハマスは、2006年の議会選挙で多数の議席を得ており、自治運営のプレイヤーとして認められるべき存在です。ハマスには暴力的抵抗をやめるよう働きかけ、イスラエルにはガザの封鎖解除を働きかけること。封鎖状態は住民の過激化を進める温床です。日本が医療、教育などで支援をすることは、この状態を緩和するのに役立つでしょう。
IS問題
2014年6月に一方的に国家を宣言した過激派組織ISが、イラクの最重要拠点としているモスルの陥落が間近といわれています。市の東部は米軍主体の有志連合軍やイラク軍、クルド人部隊の攻撃で完全に奪還、ISは西部の1キロ四方ほどの旧市街に押し込められています。ただし数万人の市民を人間の盾にして抵抗しており、慎重な作戦が必要となっています。
ISの特徴は、過激派組織としてはかつてなかった領土を持ったことです。いずれ領土は失い、疑似国家としての存在はなくなります。しかし、活動家が拡散して一匹狼型のテロがふえたり、その思想や活動が世界に広がったりして安全な場所がなくなる恐れがあります。
テロをゼロにすることはできませんが、抑制することはできます。ネットを使ってのサイバー空間を監視し、思想の拡散を防ぐこと。ただし、人権や思想・宗教の自由との両立が必要ですし、母国に帰る元戦闘員の行動を把握し、社会復帰させることも重要です。IS的なものを生む要素は内戦や外国からの介入などで国の機能を失った破綻国家です。ISを排除した後のイラクやシリアをどうするか、大きな課題でしょう。
質疑応答
――今さらですが、ISの主張は何ですか。
出川:7、8世紀のころのようなイスラムの教えに基づく国家づくりです。そのためには殺害だろうが略奪だろうが、どんな手段でもとるし、国際法にも秩序にも反対します。イスラム法の解釈の仕方を極端にすればこうなります。
――中東・アフリカ諸国自体が抱える問題があるようですが、中東全体の安定のために必要なことは何でしょうか。
出川:IS戦闘員を多く出しているチュニジアはアラブの春一番乗りで民主化も進んだのに、大学を出ても就職できない状況は変わっていません。アラブ全体では15~30歳の若者の三分の一が仕事に就けないのが大問題です。そこへネットを見ると「理想の国」というISの宣伝。働く場があればISに行かなかった、というケースが多いはずです。
――米国のイスラエル寄り姿勢、パレスチナでは内部対立。どうしたら和平の可能性を見いだせるのでしょうか。
出川:人民の和平への意欲が欠かせません。特にイスラエル国内で現状容認の世論が強いと和平に反対する強硬派の政権が続きます。それに対抗してパレスチナ側にも強硬論が高まり爆発すると、暴力の応酬しかなくなります。双方に「共存しかない」という世論が醸成されねばなりません。
出川展恒(のぶひさ)氏:1985年、NHK入局。91~92年テヘラン、94~98年エルサレム、2002~06年カイロの各支局長を経て06年7月から中東・アフリカ・イスラム地域担当の解説委員を務める。
(文 当法人理事 村上宏一/元朝日新聞中東アフリカ総局長)