▲写真:テルアビブから地中海を望む
イスラエル・パレスチナの地に行き、そこに住む人たちと交流できてよかった。
イスラエル・パレスチナに友人ができたことはもちろん、今まで本やTV、新聞の中でしか知らなかった場所が、五感を伴った記憶として自分の中に残ったからだ。
そして、このスタディ・ツアーに参加し、私と同じようで違う彼ら/彼女らの日常に触れられたことで、「紛争地」としてのイスラエル・パレスチナのイメージが大きく変わった。
まず、あえて言葉を選ばずに言うのであれば、イスラエル・パレスチナは「綺麗な土地」だった。
晴れた日は青い空が広がり、都市を少し離れると緑があり、その外側には砂漠があった。
石灰石でつくられた建築物は、日本で見慣れた木造、鉄筋、コンクリートの建物と全く違う雰囲気があった。
また、イスラエル・パレスチナには丘が多く、どこにでもその街が一望できる場所があった。
丘にのぼり、日本にはない風景が広がっているのを見るたび、私は一人小さく感動していた。
その風景は、自分の思い描いていた「紛争地」のイメージとは遠く離れており、一見するとそこは平和な気さえした。
しかし、そのきれいな風景の裏には「紛争地」としての現実もある。
入植地、分離壁、検問所も、エルサレムの丘から見える。
はじめは気付かなかったが友人に教えられて、風景の奥に小さく見える整備されたマンション群が入植地で、長く続く灰色の壁が分離壁だと知った。
当たり前の日常に、「紛争」が当たり前に入り込んでいる。
彼ら/彼女らの日常は、その点で私の日常と大きな差があるように思う。
特にそれを考えさせられた2つのことを書く。
1.バーベキューについて
エルサレムでのホームステイの際、ヨルダン川西岸地区にあるジェリコにバーベキューをしに行った。
ジェリコの入り口の門には大小様々な石が転がっており、街中に入るとイスラム教徒が大音量で祈っているのが聞こえた。
100人近くの人が集まって祈っている場所あった。
同乗していたアラブ人の友人に、毎日こんな風に祈っているのか、と聞くと、あるアラブ人がイスラエルの警察に殴り殺されたこと、それに怒りアラブ人の仲間たちが石を投げたこと、祈っているのはその殴り殺された人の葬式をやっているということを教えてくれた。
それを淡々と話す友人を見て、またついさっき通った道を思い出して、そんな大事件がこの場所では当たり前のように起きていることに気付き、友人に一言も返せなかった。
2.イスラエルの旗について
エルサレムの旧市街では、ユダヤ地区、ムスリム地区、キリスト教地区、アルメニア地区という形である程度住み分けがなされている。
ツアー中、ムスリム地区を歩きながら、活気のある土産物屋や食べ物の並ぶ露天をボーと眺めていると、ある建物の屋根の上にイスラエルの国旗がいくつか立っているのが見えた。
この旗は法律上特に問題はなく、ムスリム地区で不動産を買ったユダヤ人がその自由意思で国旗を掲げているだけである。
しかし、住み分けがなされているムスリム地区でわざわざ国旗を掲げることは、どんな意味があるのだろう。考えると、少し嫌な気持ちになった。
今回のスタディツアーで出会った人たちの多くは、表面的には私と似た日常を送っていた。
一緒に買い物に行き、バーベキューをし、水たばこを吸って、冗談を言った。
それは、私の日本での日常と大きな差異はない。
しかし、そこから少し視点をずらせば、私にはない悩みや苦労が見える。
何かの映像で見たミサイルの飛び交う「紛争」とは違う、「紛争地の日常」があるのだと知った。
今回のツアーでイスラエル・パレスチナに少し触れることができ、多くのことを学べたと思うが、それに伴い自分の無知も実感した。
もっと知りたいという欲も出てきた。
また、訪れたい。
(文 小木 雄太/
2018年スタディー・ツアー参加者、大学4年生)