▲写真:テルアビブ ヤッファでの集合写真
「世界が平和になりますように。」
中学生の頃、紛争地で暮らす子どもたちの映像を見たその日から今日まで、私は初詣でそう願い続けてきました。それでもいつまでたっても平和な世の中はやってこない。
皆さんにとっては「そんなこと当たり前だ!」と思うかもしれませんが、私は今回のスタディツアーを通して初めて、平和は願うだけでは実現できないことを、身を持って体験しました。
その理由は大きく分けて三つあります。
一つ目 今回のツアーで最も衝撃に残っていることが、入植地と分離壁です。
エルサレムやジェリコで数日過ごした後、ベツレヘムに移動しホテルに到着すると、部屋の窓からは入植地が一望できました。なんという皮肉な景色。
アラブの建物が建ち並ぶ中、それを見下ろし監視するかのように建てられた入植地を見て、私は寒気がしました。
しかし帰国してからこの話をすると、ただこの写真を見ただけの人には「見分けがつかない」という意見がありました。みなさんはどうでしょうか。
確かに、景色の一部分を切り取っただけの写真では、その場所の雰囲気も、そこに暮らす人々のことも何も伝えることはできないと思います。
簡単に行ける場所ではないからこそ、私たちが経験し感じてきたことを伝えていく重要さを実感しました。人と人を分断し、相手を非人間化してしまう壁や、パレスチナの土地と定められたはずの場所に建設されるイスラエル人の家屋は、コンクリートの塊でしかありませんが、そこには多くの人々の苦しみや悲しみ、痛み、人間のエゴ、思惑などが隠されている気がしました。
向こう側が全く想像できないほど果てしなく高い分離壁や、テルアビブの建物よりも綺麗で新しい入植地を見て、イスラエル・パレスチナ社会が抱える問題の大きさと、和平実現のことを考えると、正直絶望してしまいました。
この後、どこに行っても分離壁と入植地は私たちの後を追ってきました。
事後研修で、「バンクシーのためのキャンバスになった分離壁」と誰かが言っていました。
血を流さない非暴力の抵抗運動のはずが、これまた皮肉な表現です。
イスラエルとパレスチナの景色は繋がっていて、そこに暮らす人々は同じ人間で平等のはずなのに、分離の壁は一体何を隔てているのかを考えると、胸が苦しくなりました。
二つ目、現地の人々の意識です。
ツアーを通して、様々な背景やアイデンティティを持ったイスラエル人やパレスチナ人に出会い、意見を交換したり、お話を聞いたりする機会がありました。
私が質問を投げかけられた人数はかなり限られていて、もしかしたら他の参加者は違う意見を聞いているかもしれませんが、私の「イスラエル人の友達はいる?/パレスチナ人の友達はいる?」という質問に対して、「イエス」と返してくれた人は一人もいませんでした。
話を聞いていると、「相手に対して悪いイメージしか抱いていない」というのが一般的な考え方で、だからそれ以上は理解しようとしていない、踏み込もうとしていないということが感じられました。
そして、その心の壁が、今は目に見える分離壁となって人々を分断していました。
和平交渉の主人公である人々の中に、そのような意識が存在する状況で、和平や二国共存が実現される日は来るのだろうかと、またしても悲しくなってしまいました。
しかし、最終日に行われた死海でのピースミーティングで、過去に夏のプログラムに参加されたパレスチナ人の方が、「イスラエル人と紛争について日本で話せてよかった。誰がこのことを気にかけているのかと思っていた。」とおっしゃっていました。
そんなに簡単なことではないけれど、相手に思いを馳せて、少し妥協をすることで、和平はぐんと近づくのではないかと、その言葉を聞いて思いました。
それと同時に、このNPOが行っている活動の意義や重要性、井上さんが大切にしていることがひしひしと伝わり、興味のある方はぜひこの夏のプログラムに参加してほしいと思いました。
三つ目、平和な世の中を実現するために奮闘している人々との出会いがたくさんあったことです。
今回のツアー参加者を含め、OBOGの方、事務局の方、事前研修だけ参加された方、ツアー中に出会った方など、困っている人々に手を差し伸べようとしている大勢の方々と出会いました。
犠牲を顧みないパレスチナ人のデモや抗議活動と、それに対する自衛の域を超えたイスラエルの軍事攻撃が、イスラエル・パレスチナ社会の現状です。その中でたくさんの犠牲が積み重なってきたことも事実です。
解決しなければならない問題が山積みの中で、人々が心に負っている傷は深まるばかり、憎しみの感情は増していくばかりですが、その状況を少しでも改善させようと、行動を起こしている人々がいます。
ヤドヴァシェムを訪れたとき、ショアという残酷な経験をしたユダヤ人が、なぜ今同じようにパレスチナ人を苦しめることができるのだろうか、と私は思いました。
その答えは、「人はやられたことしかできない。言われたように人に言うし、教えられたように教える」という思想でした。
それほど辛い経験もしていない、平和ボケした日本人が、常に暴力や死と隣り合わせの人々をどれだけ理解できるかはわかりませんが、「戦争ダメ、暴力ダメ、命を大切に、平和!!」と教えられてきた私たち日本人だからこそ、できることがあるのではないかと考えさせられました。
以上の三点の出来事によって、眺めているだけではどうしようもならない現実と、行動を起こせば、平和は実現できるということを学びました。
世界にはまだまだ数えきれないほど問題が存在していて、今日もどこかで苦しんでいる人がいます。
すべてを一度に解決することはできませんが、世界をより良くしようとする一人ひとりのアクションが積み重なっていくことが大切なのではないかと思いました。
たとえそれが微力だとしても、私も何らかの行動を起こしてから、人生を締めくくりたいと思いました。
最後に、日本人参加者のみんなへ
「一生の出会いと思い出と絆をありがとう!みんなの活躍に心を弾ませながら、私も頑張ります。」
(文 東沢 虹呼里/
2018年スタディー・ツアー参加者、大学3年生)